ラーフラ『ブッダが説いたこと』

ラーフラブッダが説いたこと』

   スリランカの学僧ラフーラ(1907―97年)は、セイロン大学からカルカッタ大学で学び、後にフランスにも留学し、アメリカ・ノースウエスタン大学教授、さらにスリランカ・ヴィジョーダ大学長にもなった。上座仏教にも大乗仏教にも、精通した国際的仏教哲学者である。
   この本は、優しく簡潔にブッダが説いた原始仏教の教えと実践を、パーリ語原典をもとに、現代的視点でといており、わかりやすく面白い。
   ラーフラ師は、仏教は悲観主義でも楽観主義でなく、人間と世界を正確に客観的に説き、完全な自由、平安、清逸、幸福の道をしめすもがとしている。
   ラーフラ師は「ドゥッカ」の本質、生起、消滅、それに至る道の「四聖諦」から論じている。「ドゥッカ」は苦しみ、悲しみとともに、無常、実質のなさなどを意味する。「無常なものは、すべてドゥッカなのである」
   「条件付けられた生起」(縁起)によって、仏教相対性理論が述べられる。苦しみは存在するが、苦しむ主体は存在しない。
   持続的「自己」「個人」あるいは「私」というものは存在しない。物質、感覚、識別、意志、意識の中で、本当の「私」は存在しない。
   仏教ではすべてが相対的、相互依存的に捉えられる。連鎖の継続である。「ドゥッカ」の消滅は、渇望の消滅である。
   ニルヴァーナ(涅槃)は、無執着、うぬぼれカラの自由、継続の切断からうまれるが、否定的なものではない。仏教には絶対真理なく、永続する自我、魂、アートマンはない。ニルヴァーナは死ではないが、その先はない。
   そこに至る道は、慈しみ、心的規律、叡智(透視)である。自由意志も縁起に条件付けられている。「無我」にいたる心の修養は、「瞑想」という集中力であり、身体では意識的呼吸法(ヨーガ)であり、今を生きる注意力である。
   ラーフラ師は、現代に生きる仏教徒生活様式も書いているし、非暴力の平和主義も説いている。
   「仏教は自滅的権力闘争が放棄され、征服と敗北がなく、平和と平安が持続し、(中略)敵意、嫉妬、悪意、貪欲が人の心を侵食せず、慈悲が7行動の原動力」がニルヴァーナだと述べている。(岩波文庫、今枝由郎訳)