E・フランクル『夜と霧』

E・フランクル『夜と霧』

    アウシュビツで、両親、妻、子どもを殺され、自らも収容所生活から奇蹟の生還をしたウィーンのユダヤ精神科医フランクルの体験記だが、20世紀を代表する本の一つである。レーヴィの本が社会政治的な考察による証言とすれば、フランクルは実存的精神医学・心理学的な体験記である。
    強制収容所の過酷な暴力性と抑圧性の証言は、両者とも共通している。飢えと暴力と強制労働、日常化する暴力、発疹チフスの蔓延、親衛隊員やユダヤ協力者の非人間性、収容者の無気力と死などの体験は、第二次大戦中のナチス・ドイツの残酷性を生々しく証言している。だが、二人とも客観的に冷静に描いている。
    フランクルはいう。人間とは、なにかをつねに決定する存在であり、人間はガス室を発明したが、同時にガス室に入っても毅然として祈りの言葉を口にする存在だと。拘禁状態で「精神の自由」を創造し、いかに生き延びたかの人間としてのプライドを持ち続けた実体験の証言だが、決してサバイバルの英雄物語ではない。
    限界状況のなかで、感情の消滅や鈍磨に陥いらず、未来に絶望せずに、苦悩と死にさえ意味を見出そうとする個人の実存の在り方を、フランクルは説いている。苦しむことは何かを成し遂げることで、「生きる意味」は死もまた含む全体として生きることだという。フランクルは何も残されていなくても、「愛は人が人として到達できる究極にして最高」とし、愛する妻の面影を思い出し、絶望から抜け出そうとする。愛は死よりも強よし。
    もう一つユーモア。「ユーモアも自分を見失わないための魂の武器だ」と述べている。たとえ数秒間でも、周囲から距離をとり、状況にうちひしがれないため、建築現場で強制労働で働いた時、フランクルは毎日義務として笑い話を作ろうと収容者に提案している。
    フランクルは収容所から解放された時、失意のなか今度は自分が、自由に力と暴力を振えるという精神病理に墜ち込むこともあると指摘している。受難の民は、度を越した攻撃性を身につける。いまのイスラエルパレスチナ戦争がそうでないことを願う。(みすず書房池田香代子訳)