高良勉編『山之口獏詩集』

高良勉編『山之口獏詩集』

 山之口は沖縄の詩人だが、妻は茨城、娘は東京の「多国籍詩人」だ。復帰以前の詩「つかっている言葉 それは日本語で つかっている金 それはドルなのだ 日本みたいで そうでもないみたいな あめりかみたいで そうでもないみたいな つかみどころのない島なのだ」
 「守礼の門のない沖縄 崇光寺のない沖縄 がじまるの木のない沖縄 (中略)どうやら沖縄が生きのびたところは 不沈母艦沖縄だ いま八〇万のみじめな生命達が 甲板の片隅に追いつめられていて 鉄やコンクリートの上では 米を作るてだてもなく 死を与えろと叫んでいるのだ」
 山之口の詩では、日本語と沖縄語が相互に尊重されている。沖縄の歌と踊りのリズムが生かされる。戦後に34年ぶりに帰郷し「島の土を踏んだとたんに ガンジューイとあいさつしたところ はいおかげさまで元気ですとか言って 島の人は日本語で来たのだ」
 妻の実家のある茨城に戦中疎開し、茨城弁の詩もつくっている。そのため何十回も推敲を重ねて詩を完成させたという。「利根川」「常磐線風景」「土地3」茨城時代の傑作だ。
 山之口の詩は、底辺である地表の視点から書かれている。「座布団」は地表の視点から目を離さない。私が好きな詩は「ねずみ」である。道路の中央に盛り上がり生きていたねずみが平たくなっていく。車輪が滑ってきてアイロンでのばしたように、ひらたくなる。「ある日 往来に出て見ると ひらたい物が一枚 陽にたたかれて反っていた」関東大震災東京大空襲、広島・長崎原爆投下を思う。
 ユーモアも多く山之口の詩には盛り込まれている、それが諷刺にまで強まる。
 「鮪に鰯」では、鮪の刺身を食べたいと妻が言う。死んで良ければ勝手に食えと夫はいう。みんな鮪だ、「鮪は原爆を憎み 水爆にはまた脅やかされて 腹立ちまぎれに現代を生きているのだ」ビキニの灰をかぶったマグロ。いい詩だと思う。解説の高良氏の文章もなかなか光っている。(岩波文庫)