シラー『ヴィルヘルム・テル』

シラーを読む(2)
シラー『ヴィルヘルム・テル

シラーの劇作は、集団劇だと思う。「群盗」でも、第二幕のボヘミヤの森で、群盗たちが繰り広げる集団劇は圧巻だし、この「ヴィルヘルム・テル」でも第二幕でスイス三州の民衆が、神聖ローマ帝国皇帝の圧政に立ち上がる集会も人民の集団劇になっている。また「ヴァレンシュタイン」の第一幕の陣営の場では、兵士集団の劇になっている。
人民の自由を求めるエネルギーを描き、その直接民主主義的反乱の討議場面が、この劇の中核になっている。猟師テルは、最初は慎重な中立的・マイホーム主義者だが、皇帝代官の帽子に敬礼しなかったため、子供の頭にリンゴを乗せ射さされることから、反抗一味になる。
帽子を象徴し敬礼しなければ、忠誠心がないという場面は迫力があるが、現代日本国旗掲揚・礼拝を連想させる。だが、シラーは誇り高い猟師テルがテロリストになり、その弓射の力能を生かし、代官を暗殺にいたる経緯が、よくわからない欠点がある。
最後の五幕で、皇帝の暗殺者の甥とテルという暗殺者同士のセリフがあるが、テルが上位に立ち平然とし、皇帝暗殺者が罪に虐げられているのも、なにか不自然さを感じさせる。テルは弓矢をすてるのだが。
このシラーの劇は、テルを描いたというよりは、圧政に対するスイス人民の自由を求めた戦いが主題だといえよう。猟師、漁師、牧夫、土着の郷神、農民、牧師、主婦などの、人民の織りなすドラマが生き生きと対話で描かれていて、感動する。
この劇作は、もう一つスイスの山、湖、草原などの自然が主人公になっている。特に湖が、嵐の場面などドラマを引き回す重要な舞台装置になっている。崖道や雪崩などスイスの風景が、ドラマをもり立てている。(岩波文庫、桜井正隆・桜井国隆訳)