レベル『ナチュール』

エマニュエル・レベル『ナチュール』

 フランスの気鋭の音楽学者による「音楽と自然」の関わりを、ルネスサンス期から、現代音楽まで究明しようとした力作である。
 体系的というのでなく、ルーブル美術館のように、ジャンル別に芸術作品を展示するような書き方になっている。アルカディア、庭園,嵐、風景、動物学的間奏曲、風・水・火・土、環境、宇宙という章構成である。
 例えばアルカディアの章では、ヴィヴァルディ「四季」にはソネットがまずあり、芸術は自然の模倣であるという考えが強く示されている。狩りと鳥の囀り、羊飼いとニンフ、特定の場所を排除し、「理想化された自然」が奏でられる。
 庭園の章では、ラモーの音楽はルイ王朝時代の庭園芸術に類似し、混沌たる自然から調和的で整備された庭園の自然が音楽化したとする。四大元素と和声の調和が、ラモーの「うずまき」も人工物にしてしまう。これに対し、ルソーはイギリス式庭園のように「自然」の成長をいかした。
 嵐の章では、ベートーベンの「田園」交響曲が、自然災害の現実味と、心の中の嵐をシンクロさせているという。絵画的描写より感情の表出、自然の崇高さは、ロマン主義につながっていく。
 マラーは「風景を見る必要はないよ。音楽ですべて表現しているから」といった。この言葉はロマン主義音楽を言い表している。シュトラウスアルプス交響曲」は山と森を発見したし、国々を象徴する河は、シューマンライン川」からワグナー「ニーベルングの指輪」に通底している。
 19世紀になると、自然とテクノロジーの関係が全面に出てくる。四大元素を使い、ドビュッシーは水と夢に行くし、ワグナーの「神々の黄昏」はエンディングを火でつつみ、「野獣派」が出てくる。ストラビンスキー「春の祭典」は土と未開が打楽器の多用で表現される。
 20世紀になるとテクノロジーの自然破壊に対して、サウンドスケープと音のエコロジーの音楽が出てくる。他方、電子音響音楽、音響デザイン、録音技術の進歩なども盛んになる。と同時に、生物学、生態学による、植物の復権が、武満徹などに見られる。(アルテスパブリッシング、西久美子訳)