岩元厳『現代アメリカ文学講義』

岩元巌『現代アメリカ文学講義』

 80歳を過ぎ、50年以上アメリカの文学を研究し、翻訳してきた岩元氏の本を読むと、本当に米文学が好きだと思う。
 岩元氏は若きアメリカ留学時代にマラマッドやアップダイクにめぐり合い、ジョン・バースに行き着く。20世紀アメリカ文学の主流を抑えているから面白い。
 死の直前の1985年にマラマッドが書き始めた長編小説をフィリップ・ロスに朗読する姿は感動的だ。岩元氏がマラマッドに会ったとき、貧しい食料品店を守り20年以上「より良い生活」を望み挫折する主人公を、「凡庸な」人間といったら、それをマラマッドは訂正し、「普通の」人間であって「限界」をもつが「凡庸」ではない、といったという。
 マラマッドは普通の貧しい移民の「現実」と「幻想・夢」の食い違いを描き出す。カフカに似た自己戯画化だという指摘もいい。滑稽な生活から「普通の生活」が浮き彫りになる。
 レイモンド・カ−ヴァー論も面白い。日常的物事を異常なものに移し変える才能という。「小さな物語」時代の「作られた狂気」がカーヴァーにはある。
 晩年の短編「使い」は、カーヴァーが尊敬する作家チェーホフの死の直前を描いたものだが、その悲劇性より、妻と主治医が飲んだシャンペンのコルクを床から、二人に気づかれずに拾うボーイの視点が細かく書かれる。そのグロテスクさが、奇妙なカーヴァーの小説の味をつくりだしている。
 私は岩元氏の本を読んで2点を考えた。一つはアメリカ文学ではなぜこんなに短編小説が多く、傑作が多いのかである。長編を書いたヘミングウェイ、フォークナー、メェヴィル、ドライザー、ヘンリー・ジェイムスもいるが、彼らも短編を多く書き傑作が多い。
 第二点は、アメリカ・リアリズムは、リサイクルされるが、現実が先に行き、追いつかないため、幻想力がはいってくる。
 とくに「戦争小説」ではオブライエンをはじめベトナム戦争の「現実」が、すでに先に行き「幻想」になってしまうのだ。ジョン・バース「びっくりハウスの迷子」のように現実と幻想の迷路をさまようことになる。(彩流社