「私見・選挙拒否論」

私見・選挙拒否論」

私は「選挙」が民主主義の核とは思えない。選挙は拒否すべきであり、職業政治家は限定すべきで、将来は全廃すべきと考える。
① 選挙は自由でなく、特定政党や立候補したい人々しか選べない。私たち市民が選んだのでない人々が立候補している。これでは既得権益をもつ人しか選べない。
② 立候補した人がなにをやってきたかの評価の情報公開が行われず、政党や政策など「大きな物語」しかわからず、皆画一的である。
③ もし選挙が必要なら、最高裁判事の審査のような、消極的消去の方がベターである。また、立候補しない人々にも投票するのが、自由な選挙である。
④ 有名人や当選多数の多い人が「人気投票」的に票を集めてしまうのは、AKB総選挙と同じである。舛添、猪瀬の選挙を考えよう。
⑤ 選挙を官庁行政が取り仕切り莫大な経費をかけるのは、財政困難の今は、政党よりも社会福祉に使うべきである。
⑥ 今の状況では、選挙は権力・政権党に多くの利益を与える。メディアも政権党を多く報道する。一発勝負だと、敗者復活戦もない。多数決の疑問は『多数決を疑う』(岩波新書)を読むと参考になる。
⑦ 小さな社会から、選挙でなく「市民自主管理」をつみあげて、無数の共同体の集積による政治に発展させるべきである。分散型・並列型政治である
⑧ 投票率が上がることは、全体専制政治に行き着く。中国、ロシア、北朝鮮の100%投票率を考えると分かる。
⑨ 当選至上のため、大衆迎合ポピュリズムが強まり、大衆批判は弱まる。ためにヒットラーのような政治家が選挙制度で生まれる。
⑩ 競争的政治制度である選挙は、市場自由主義に見合う。アメリカの政治学者ダールのいうように、ポリアキーは、異議申し立てと市民参加の制度化を選挙制度でなく、行おうとしている。(『ポリアキー』高畠通敏ら訳、岩波文庫