野内良三『無常と偶然』

野内良三『無常と偶然』


 面白い。「日欧比較文化叙説」と副題がついている。だがほとんど日本とフランスの詩・文学の比較を、「偶然」と「無常」という座標軸で比較したものである。野内氏は西洋思想では、因果連関の必然性を追及した。だから複雑系の縁起的因果連関の偶然を敵視したという。東洋思想で偶然に対応するのは無常だという。野内氏によれば、無常は存在の消滅に注目し、偶然は存在の出現に注目する。無常は未来の瞬間を、偶然は現在の瞬間を問題にする。西洋的偶然は誕生を呪い、東洋的無常は死を呪う。無常は「死の到来」の偶然性に関心を集中する。西欧哲学の偶然は「希少性」にこだわるとすれば、東洋思想は無常の「瞬間性」に注目する。
野内氏の本は決して抽象論ではない。面白いのは物語や宗教書、随筆、哲学、詩などの事例から、無常と偶然を説いているからである。九鬼周造『偶然性の問題』から始まり、シュールリアリズムのブルトンの偶然と無意識の冒険で終わる。その間には『徒然草』の無常の美学、道元の無常の形而上学マラルメの詩作と偶然、ランボーの「我は他者なり」などが取り上げられている。この本を読んでいると、20世紀西欧思想が、必然性の王国を支える理性と自我の脱中心化により、東洋的思想に接近している面があることがわかる。そういえばある仏文学者には、デリダ道元という著作もあった。私も竜樹の仏教哲学には「複雑系の科学」と親縁性があると感じたことがあった。だが、西欧思想の存在(有)のロゴス主義は強い。マラルメにしろ、九鬼にしろ西欧思想の限界に挑戦したが、やはりその外には出られない。
野内氏は、兼好法師の「徒然草」を、この世の無常を直視し、それに「美」と「楽しさ」を見出した美学的人生論をみている。他方道元は、無常をとことん突き詰めた時点で「偶然」に逢着する。そこから「起」という縁起連関に行き着く。またマラルメの「サイコロの一投」の偶然論も深く分析されていて面白い。(中公選書)