乗松亨平『ロシアあるいは対立の亡霊』

乗松享平『ロシアあるいは対立の亡霊』

ソ連解体以後のウクライナ危機までのロシア現代思想を、探究した力作である。乗松氏の問題意識は鋭い。1991年冷戦終結により、東西対立、資本主義と共産主義の二項対立の亡霊が復活し、1968年の権力対反権力の対抗の亡霊も復活してきているという。90年代末からの現代思想を、この亡霊を中心に分析していく。
乗松氏の本が面白いのは、ロシアと日本の「ポストモダン」思想を2011年時点での比較から書き出していることだ。日本では東日本大震災以後、「大きな物語」の凋落に対して、「絆」や「つながり」がインターネット社会で重視して出てくる。さらに安保法制似たいし、マルティチユードという民衆連帯が出現し、「立憲主義」という大きな物語が出てくる。
他方ロシアでは「つながり」よりも「大きな物語」へ復帰する。その物語はプーチンの「強いロシア」というナショナリズムであり、反権力の民衆運動である。乗松氏はそれを「私はXにとって他者である」というXとの対立物語として捕らえ、Xを西欧と見たり、権力と見たりしたロシアの「第二世界」の思想が、ソ連解体で喪失したのに、「亡霊」として生きて出てくるこの50年間の現代思想を追っている。
西欧モダンとポストモダン、プレモダンの絡み合いは、乗松氏の本を読んでいると、日本とロシアで共通性さえ感じてしまう。だが違うのだ。乗松氏は、ロシア現代思想では構造主義あるいは記号論の影響の大きさを指摘し、ポスト構造主義ソ連時代には無視されてきたという。記号論はユーリー・ロトマンを中心に、二項対立と、「私」と「X」の二元対立にもとづく「第二世界」の析出であるという。
脱構築よりも「大きな物語」の構築へと、ソ連以後のポストモダン思想は、多元的差異の戯れよりも、「私は西側似たいし他者である」という二項対立が強い。1990年代にポスト構造主義流入にも、「文学至上主義」に対し「文化的身体」の復権が論じられるが、やはり言語対身体という二項対立から抜け出られない。
21世紀のプーチン時代には、ソ連時代の過去の再評価とともに、「私は権力にたいし他者である」という形ではない対抗の物語を、「私」とXとの「共同性」の構想をいかに作るかに向かうと、「対抗としての共同性」思想として、乗松氏は述べている。アロンソンやペトロフスカヤの「対抗としての共同性」とソ連ノスタルジアを、日本での「三丁目の夕陽」の「昭和30年代主義」の貧しいが、共同・連帯の思想と比較するなど、この本は面白い。(講談社選書)