上岡伸雄『テロと文学』

上岡伸雄『テロと文学』

           アメリ9・11テロは、21世紀の幕開けに起こった。その影響は現在まで続いている。アメリカ文学者・上岡氏は、テロ暴力の持つ圧倒的力、映像や音声を駆使したマスコミやノンフィクションに対し文学は無力だが、一過性のメッセージにならず、歴史経過や個人の人生における深層を描く小説を、重視してまとめている。力作だと思う。
           ドン。デリーロ『墜ちてゆく男』(2009年)は飛行機が突っ込んだワールドセンターから墜ちてゆく男を主題に、心の底に残っている記憶を、タワーなかから親友の死を見なが、ブリーフケースを掴んで逃げる男から描く。ビルの崩壊と人々の落下。上岡氏は、ドン・デリーロがテロとの戦争という大きな物語に吸収される記憶を、個人の生活や心の内面まで入って、被害者・加害者も含め、理解する責任を小説で書いたという発言を引き出している。
           テロリスト(実行犯モハメド・アリなど)想像不可能な人間を想像した小説も書かれている。アップダイク『テロリスト』(2006年)は、アメリカにいる若者がテロリストになっていく過程を扱う。ウォルター『ザ・ゼロ』(2013年)は、現場に駆けつけた警察官を主人公に、テロ事件後の警察や情報機関のおとり捜査が、逆にテロを誘発していく悪循環をテーマにしている。愛国者法が、盗聴などで市民的権利を奪う。
           テロ事件がアメリカのイスラム教徒のアイデンティテイをいかに奪っていったかを、ハミッド『コウモリの見た夢』(2011年)で書かれ、「他者」の認識を小説化している。ハラビー『かつて約束の地で』では、イスラムの多様性を主張している。対テロ戦争を兵士の立場で小説にしたのは、イラク帰還兵を書いたフィル・クレイ『一時帰還』(2015年)や、パワーズ『イエロ・バード』(2013年)など傑作がる。
          グランド・ゼロのメモリアルと、その近くに建設予定のモスクの物語も興味深い小説が書かれている。ウォルドマン『サブミッション』(2013年)を、上岡氏は強烈な風刺小説として紹介している。ウォルドマンはいう。「私はときどき文学を、反メモリアルとして考えます。実際のメモリアルは不在をフレームにいれるだけでなく、歴史自体をフレームにいれてしまうのです。私はこのフレームを壊し、あの日に起きたことをその後に起きたことにつなげたかった」
          上岡氏は。9・11がいかにメディア操作と絡んでいるかを警告し、文学が「事実」でなく、「真実」に肉薄しようとしているかを述べている。現在読みたい本である。(集英社新書
「テロ私見   私はテロは原始的な政治闘争の遺産だと思う。政敵の抹殺により、自己の政治的目的を果たそうとする。
  最近のテロはテロリズムとは違うと思う。民衆や市民をソフトターゲットとして狙う安易さに、人命無視のナチ・ユダヤ虐殺と同じだ。無差別に抹殺することによる差別構造がそこにある。
  テロとは政治権力を抹殺するのが、常道である。弱者や被差別民を皆殺しにするのは、集団虐殺の犯罪である。
  政治権力を抹殺しなければ、テロリストの目的ははたせない。今多くのテロは警戒厳重もあるが。誰も権力者を殺していない。
  アサドもブッシュもチェムニもプーチンも、みないい生活をしている。ISは本当にテロリストなのか疑問である。
  私は政治家不要論であり、権力の仲介搾取者であり、抹殺すべき税金泥棒である職業政治家をテロにより、集中ターゲットにすべきだと思う。
  9・11はツインンタワーで多くのビジネス市民をころすより、ホワイトハウスペンタゴン自爆という本当のテロ的な攻撃が行えなかったことが失敗である。