依岡隆児『ギュンター・グラス』

依岡隆児『ギュンター・グラス 渦中の文学者

      現代ドイツ文学者でノーベル文学賞を1999年に受賞したギュンター・グラスの評伝である。『ブリキの太鼓』(集英社文庫・高木研一訳)を読み、映画「ブリキの太鼓」も見たことがある。ドイツ教養小説に否を唱え、3歳でブリキの太鼓を手にしたまま地下室に転落し、成長がとまつた身長94センチの発達障害のオスカルを主人公にして、そのグロテスクな描写を通じて、ヒットラー時代から戦後ドイツの市民社会の欺瞞を暴いていく。ドイツ戦後文学に新鮮さを感じたことを覚えている。
     映画でもオスカルがヒットラーの演壇の下からそのインチキ性を暴き、また不満で泣き出すとガラス窓が砕け散るシーンなどが強烈な印象として残っている。だが、グラスという作家がどういう生活や、社会行動をしていったかを、85歳の現代まで追って描いた依岡氏のこの本を読み始めて知った。
     作品の変遷も面白いが、この本の副題にあるように「渦中の文学者」として、現代世界が抱える危機に様々な行動をしてきたグラス像が描かれていて興味深い。福島原発事故でも、いち早く原子力エネルギーは「文明の断絶」ととらえ、核廃絶によりラジカルになったと発言する。
    1978年来日するが、大都市より辺境の室戸岬に1週間滞在した。故郷喪失者(グラス一家は故郷ダンツィヒを戦争で追われた東方難民)であり、常にロマ民族(ジプシー)を擁護し、周辺の地域に拘るマイノリティ支持だったグラスの姿が描かれる。  
     「喪失は文学の前提である」とするグラスは、ドイツ再統一に異を唱え、憲法制定をまず行い、東との負担調整を実施し多文化による東西ドイツの国家連合を提唱した。外国人排斥運動や移民法改正、東西ドイツの経済格差、文化の違いによる差別、マスコミの機能不全、政治の右傾化、戦争責任の風化、タブーだったイスラエル批判(核保有でイランへの先制攻撃)、環境破壊批判などに参画して戦う文学者だった点を依岡氏は描き出している。
    「想起とは恩寵でもあれば、呪いでもある」というグラスは、2006年自伝的作品「玉ねぎの皮をむきながら」で、17歳のヒットラー時代軍国少年であり、ナチス親衛隊員だったことを明らかにし、戦争責任の過去を批判してきたグラスに非難がでた。だが記憶のあやふやさや自己欺瞞、想起や物語化することの自己脚色や、現実逃避の衝動との戦いを、グラスは老年まで持続しているのに驚く。
     なにものも純粋ではないと白黒で割り切ることをよりも「灰色を愛す」というグラスのポリフォニー(多声的記述)や「影」の存在の複雑性が、グラス文学にあることを、依岡氏のこの本で知った。(集英社新書