A・ヴァインケ『ニュルンベルク裁判』

A・ヴァインケ『ニュルンベルク裁判』

      2015年は、第二次世界大戦終結から70周年である。ヴァインケは、ドイツ。ナチの戦争犯罪を裁いたニュウルンベルク裁判を、国際軍事法廷(1945−46年)と、12の継続裁判(46年―49年)の二つを取り上げている。「平和に対する罪」と「人道に対する罪」という新たしい国際法の罪で裁き、300人余の指導者、高級官僚、医師、司法官まで刑罰を課した。東京裁判(1948年)との相互性にも触れている。
      ヴァインケ氏は、この裁判を綿密な資料によって、どういう裁判だったかを明らかにしている。私はナチ「第三帝国」のエリートたちをアメリカ単独で裁いた12の継続裁判に興味をもつて読んだ。この裁判では強制連行・強制労働を指示した経済人・経営者、強制収容所などで人体実験などした医師裁判、ナチに協力した司法官裁判、国防軍最高司令部、治安本部、親衛隊、などだ。軍産複合体まで裁かれたのは画期的だ。
      最近亡くなったヴァイツゼッカー大統領の父親で、外務省次官だったE・ヴァイツゼッカーが有罪になり7年の刑を受け、権威エリートがヒットラーの従属的な「郵便配達人」だと自己弁護したことは、アイヒマンの照会までしていたこととともに興味深い。東京裁判重光葵裁判に影響を与えたのかもしれない。
      ヴァインケ氏の本で、戦後ドイツへの影響が多くの示唆を含んでいる。50年代には「勝者の裁き」や「遡及効批判」など裁判批判が強くあった。だが米ソ冷戦により、アデナウァー首相による西ドイツとアメリカの安全保障体制により、裁判は受け入れられていく。
      日本との違いだ。「ニュルンベルク原則」は①全世界の普遍的な法的基準②侵略戦争や虐殺など人権侵害は裁判で有罪という、国家権力の限界を定め、個々人を国際法の主体として罪を裁くことが、ドイツでは定着していく。
2002年には、この精神をもとに国連のローマ規定の世界60国の批准で、ハーグ国際刑事裁判所が発足した。ヴァインケ氏は、この裁判の意義を侵略戦争の処罰の規範化だという。
      だが、50年代疑義を主張していたドイツがいまやハーグ国際刑事裁判所の断固とした支持者になり、ニュルンベルク裁判の計画実行者のアメリカが、現在では超国家的な刑法による国家主権の制限を強く拒否している矛盾をも突いている。(中公新書、板橋拓己訳)