クライスト『チリの地震』

クライストを読む(1)
  『チリの地震
  『O侯爵夫人』

           クライスト(1777―1811年)は、ドイツの不遇な変わり種の小説家、劇作家である。ゲーテ嫌い、ナポレオン憎悪で、古典主義とロマン主義の狭間におり、34歳で人妻と拳銃心中した。カント哲学という知に決別し、非合理的情念の苦悩を生きた。日本では森鴎外の翻訳で紹介されている。私はクライストに浄瑠璃の悲劇性を感じる。
           劇作も多いが、短編小説の名手である。クライストの小説は、災害や伝染病、戦争などのカタストロフ(大災危)のなかで、人間の情念のカタストロフが絡み合って、高貴に生きようとする悲劇的な物語になる。
           「チリの地震」は、リスボン地震に示唆を受け、1647年のチリ大地震に題材をとり、そこで処刑される寸前の恋人同士が地震の都市崩壊で逃げ出す。崩壊していく家々の描写は簡潔だが迫力がある、地震直後に身分を超えて相互献身的に助け合う人々が、一段落し教会前広場に集まった避難民の群衆が、神を汚したためだと、処刑されそうだった二人に襲いかかる。大衆の情念のカタストロフ。関東大震災のときの朝鮮人虐殺を私は連想した。
           「O侯爵夫人」は、戦争中にロシア軍に襲われた城塞で、侯爵夫人を助けた露軍将校が、失神している夫人の魅力で犯して去る。戦後夫人は妊娠し、不倫、私生児だと父侯爵などの激怒をかい、城を追い出され、生まれる子の父親を探す新聞広告をだす。勇敢で高貴な夫人の行動と、露軍将校の悔いがすれ違いながら、小説は進んでいく。
           復讐と正義の貫徹の情念は、「ミヒャエル・コールハース」や、「拾い子」の情念の大破局にも見られる。「聖ドミンゴ島の婚約」にも「決闘」にも、ひとすじの恋人同士の情念が、正義を求めて一貫して戦っていく悲劇性が描かれている。
           コールハースにしろ「決闘」の侍従フリードルヒにしろ、正義の情念に取り付かれた人であり、「全てか無か」の人であり、独文学者・手塚富雄がプロシャ的無軌道性・非合理性(『ドイツ文学案内』岩波文庫別冊)というのもわかる。ドイツの作家シュテファン・ツバイクが評伝でニーチェヘルダーリンとともに「デーモンとの戦い」にクライストをいれているのも、もっともだ。(『チリの地震河出文庫種村季弘訳、『O侯爵夫人』相良守峯訳)