ベンスサン『ショアーの歴史』

ジョルジュ・ベンスサン『ショアーの歴史』

  「朝日新聞」(2014年3月25日)によると、ホロコーストユダヤ人虐殺)の70周年を迎えるハンガリーで、ナチス占領記念碑建設計画にユダヤ系団体がボイコットするという。ハンガリー政府はナチス占領以前の1920年に反ユダヤ法を制定、41年にはナチスと協力し、44年に43万人をアウシュビッツ強制収容所に送り、ほとんどが犠牲になった。この記念碑では「ハンガリーは被害者だ」いう視点に、ユダヤ人から批判がでていた。最近選挙で極右政党が進出し、政、財界のユダヤ人のリストアップを主張することが背景にある。
    ベンスサン氏は、定期刊行物「ショアーの歴史」の編集長であり、ユダヤ民族排斥の計画と実行を、1939年から45年まで世界が沈黙しているなか、600万人のユダヤ人が、いかに殺されていったかの「国家犯罪」を詳しく描いている。哲学者。アーレントは「全人類史において、これほど語るのが困難な出来事はない」という。
  この本を読むと「技術と官僚機構という現代性が一方に、政治と精神の後進性が他方にという両者の共存をあからさまにした。ジェノサイドは、ドイツの歴史だけを、あるいは迫害にもってこいの枠組みとその精神風土を提供した西欧の反ユダヤ主義だけを問うているのではない。人間およびその存在の似非生理学的概念に根ざした権力、すなわち人間の生を管理するというあの現代の権力をさらに問いつめる」というベンスサン氏の主張が肯ける。
  ナチスユダヤ人最終解決は、1942年「ヴァンゼー会議」であり、まずユダヤ人を国民から選別し、財産没収、集団隔離、国鉄で強制移行させ、殺人工場に送り込む作業を一貫流れ作業にし、国家の官僚組織に委ねるという「合理的」な組織化だった。ラインハルト作戦では、トラックにユダヤ人を押し込め、ディーゼルエンジン排気ガスで、次々と一酸炭素ガス中毒死させるという周到さである。
  ジェノサイドが、国家機密の秘密になっていて知られなかたこともあるが、それを知ったローマ法王も、赤十字国際委員会も、英米など西欧諸国も、沈黙していたのはなぜかを国家主権・内政不干渉から分析している。ユダヤ難民忌避も影響している。ナチスの犯罪は変質者によるものではなく、アイヒマンのような「勤め人の犯罪」で、平凡な日常生活の大衆社会でおこなわれたという。
  ベンスサン氏は、ナチスが意図的に虐殺を行ったのではなく戦争という状況でエスカレートしたという「機能主義」の見方は、ドイツ民族主義や、社会進化論優生学、生物学的反ユダヤ主義、人種差別が織りだす思想的背景を軽視しているという。また、ヒットラーが意図的に最初からユダヤ人を根絶するとい「意図主義」の見方にも批判的で、現実のダイナミズムや戦争状況を考えていないと指摘している。
  ベンスサン氏は、ナチスショアーは、生物的言辞を弄する人間の生を管理するという「生権力」(ミュシュエル・フコーの言葉)の全体主義思潮いう考え方のようだ。(白水社クセジュ文庫、吉田恒雄訳)