野村弦『グリム童話』

野村泫『グリム童話


 グリム童話は残酷であり、封建世界の遺物で、ナチや強制収容所に繋がる非科学的な昔話であるという物語論に様々な観点をあげながら、そうではないことを論じていて面白い。「ヘンゼルとグレーテル」「白雪姫」「七羽の烏」「いばら姫」「兄と妹」など多数な童話を例にあげているから解りやすい。かつて社会史のダーントンの『猫の大虐殺』を読んだ時「フランスの昔話は狡猾を特徴としているが、ドイツ・グリム童話は残酷だ」とあった。だが野村氏はペロー童話も残酷だし、グリムが聞き取りした老婆たちはユグノー出身のフランス系だともいう。
 野村氏は現代のマンガ・アニメ・映画の刺激的残酷さに比べれば、グリム童話は当時の人間がやってきていることの反映であり、昔話は不安と恐怖の奥底に根ざしているが、それは現実へのあきらめでなく、変革・解放への精神の志向作用を表しているという。たしかにヘンゼルとグレーテルにはそうした面がみられる。野村氏は昔話を、ブロップの昔話構造論により「加害・欠如に始まり、超自然的な力を借りてそれが解消されていく物語」と捉える。世の中はかくあらねばという期待の物語。ただ昔話は超自然的のものと現実とが同じ次元にいる「一次元性」があるが、伝説は超自然と自然がはつきり区別される「二次元性」に立つ。そのため伝説は超自然の禁止に背き、あきらめ悲劇的結末になる。昔話は人間のレベルをこえた所に立ち、人生を克服しようとする「あこがれ」がある。
 また笑話は昔話のように超自然的存在の助けにより幸せをつかむのでなく、人間の地平に立ち、機知や頓知などの策略で優位に立っていくことを「オイレンシュピーゲルの愉快な冒険」を例にとり論じているのは、面白かった。グリム童話の残酷性のため、子供に読ませるのに戸惑いを感じる母親に、野村氏はグリム童話は子供の心の糧になると、この本で主張している。(ちくま学芸文庫