高橋哲哉『沖縄の米軍基地』

高橋哲哉『沖縄の米軍基地』

    高橋氏は、在沖縄の米軍基地の「県外移転」は可能かを論じている。戦後70年の米軍基地沖縄集中は、変わっていない。いま沖縄では、米軍基地の「県外移転」の要求が広がっている。「日本人よ!今こそ沖縄基地を引き取れ」。本土に移設せよという要求である。
    県外移設には、社会学者・野村浩也氏が『無意識の植民地主義 日本人の米軍基地と沖縄人』(お茶の水書房)で、沖縄は復帰後も日本の植民地であり、沖縄差別という「政治的権力の位置」による基地集中を行っているといい、本土の国民はそれに対し「権力的沈黙」をしてきたと指摘した。高橋氏の主張も、それを基盤にしている。
    高橋氏は米軍基地沖縄集中の歴史と構造を、あぶりだしている。日米安保体制という憲法を超越する「超法規」が、戦後日本の政治を規定している。だが、高橋氏によれば、歴史をみると、米国でなく日本政府・国民が沖縄に基地を置くことを望み、本土移設を拒否してきたという。米軍駐留を望んだ「昭和天皇メッセージ」だけでなく、いまや世論調査では、本土国民の8割が支持しているという。
    この本の後半で高橋氏は革新系の「反戦平和」運動が、「安保破棄・全基地撤去」という理想のため、本土移設という平等を無視し、「本土の沖縄化反対」という建前で、移転を阻止してきた矛盾を突いている。さらに「県外移転批判論」への応答として、政治学者・石田雄氏や、新城郁夫氏の沖縄の日本離脱論、県外移転の転倒・倒錯論を批判している。ここの論争は難しいが、重要である。
    だが差別的政策を終わらせない限り、沖縄の負担は終わらないし、本土の無責任も終わらない。米軍基地を必要としているのは日本政府・国民だとすれば、基地を日本本土で引き取り、沖縄差別に終止符をうつことは、平等の理念からいっても当然だろう。それは「安保破棄」という平和を求める行為とも矛盾しないと高橋氏はいう。基地を引き取りつつ、日本国民の責任で平和国家を構築していける。(集英社新書