村上陽一郎『科学者とは何か』シュンペーター『租税国家の危機』

村上陽一郎『科学者とは何か』『人間にとって科学とは何か』
 2010年度民主党政権下、予算の事業仕分けが行われ次世代スパコンなど科学予算が大幅に削減され、優遇からの転落は科学界に衝撃を与えた。現代社会における科学とは何かを考えさせる本が村上氏のこの二冊だ。『科学者とは何か』は、19世紀に誕生した科学者集団の行動様式の特徴を科学史から考える。
 西欧の知が科学を産む過程を、村上氏は「聖俗革命」として捉え本も書いている。自然研究が知的好奇心の探究心から発し、専門的・職業者として「サムシング・ニュウ」(何か新しいものの発見)に向かう。そのために閉ざされた共同体を作り専門学会を組織する。その中でピァ・レヴュ(同僚評価)と言うレフリー制で機関誌に業績論文を発表し、ノーベル賞などの褒賞制度もある。純粋な真理探究で社会の価値からの中立性が倫理様式だった。
 だが20世紀の核開発に到る物理学、DNA発見による遺伝子操作、クローン誕生などの科学の発展は環境問題などもあり「社会のための科学」を強めてきた。 『人間にとって科学とは何か』は科学が、国家権力や資本主義の利益のため利用されてきて、生活者としての人々に大きな影響を与える時代の科学のあり方を考えている。生活者としての一般市民が科学の「正しいクライアント」になるために、科学的合理性と社会的合理性の絶えざる対話としての「トランスサイエンス」が必要と村上氏はみる。科学技術に対する「安全学」や医学における「患者学」など、さらに市民参加型技術評価、科学リテラシーのため大学までの文系・理系の撤廃による新教養教育を村上氏は提案している。納得がいく。
 だが過度の社会(国家や資本、住民運動など)の介入は「科学」研究を歪める可能性もある。かつて「芸術のための芸術」か「社会(政治)のための芸術」かの論争があった。スターリン体制化の旧ソ連でルイセンコ学説がもてはやされ、他の遺伝学説が排除されたことがあった。無制限の「研究の自由」はあり得ないとしても、村上氏のいう「知識としての知識」「芸術のための芸術」の探求は必要であり、人間の創造力という本性を窒息させては意味がない。(新潮社)(2010年7月)


シュムペーター『租税国家の危機』
消費税論議が高まっている。20世紀のケインズとともに偉大な経済学者といわれるシュムペーターの1918年オーストリアで出版された古典を読む。シュムペーター自由主義資本経済が成り立たないと租税国家は存在しないという。古代や中世には租税国家は存在しなかったことになる。この分析は面白いが、第一次世界大戦敗北後のインフレと戦費による国家の巨大な財政赤字をどうするかが、この本の主題である。
 財政赤字国債の累積をいかに解決するかは国際、国内の歴史的状況が異なるとはいえ現代日本とも共通する。所得税増税では費用がまかなえない。シュムペーター時代には消費税という考えは薄い。そこでこの本で提案された政策は財産税(資本課税)と資本家・資本企業人の財産担保による外国信用借款の導入だった。そこには所得再分配の考えもある。貨幣を多く持つ人々が国家公共を救うというキリスト教的思想がある。それによって資本主義自由経済の国際競争原理がさらに研ぎ澄まされるという強い経済観念がある。
 ひるがえって現代日本はどうか、消費税増税は言われるが財産税はさけている。法人税も国際競争力が低下すると乗り気ではない、法人税増税が本当に国際競争力を低下させるのかの検証もない。税の優遇措置の再検討もない。何億も年収をもらう経営者もいる。負担軽減のみを国家に要求して国家を再建していく参画も薄い。政治史家・藤田省三さんがいった『安楽の全体主義』が日本を覆っている。それこそ日本租税国家の危機である。8岩波文庫)(2010年7月)