W・アーサー『テクノロジーとイノベーション』

W・アーサー『テクノロジーイノベーション

   かつて経済学者シュムペーターは、イノベーションによる創造的破壊で、経済発展が行われるとした。(『経済発展の理論』岩波文庫)だが、複雑系経済学者・サンタフェ研究所教授・アーサー氏は、テクノロジーが、人間の手を離れ自己組織化し進化していき、経済はテクノロジー表現であるというのである。テクノロジー主体の技術イノベーションを中心にして、テクノロジー論を展開している。斬新な見方である。
  アーサー氏のテクノロジーの見方は三点である、第一には、テクノロジーは要素の組み合わせであり、第二にその要素自体がテクノロジーであり、第三に自然現象の利用であるという。自然現象の利用による既存のテクノロジーが、組み合わせのためのパーツを提供、その累積がさらなる技術革新を呼ぶという「組み合わせ進化」論なのである。
  アーサー氏は、テクノロジーがまとまったものを「ドメイン」と呼び、新しいイノベーションは新しい組み合わせのドメイン化から生まれるとしている。航空機制御の技術を例に説明している。
  テクノロジーの起源から論じているのも斬新である。科学との関係や発明についても、新規な論理が述べられている。技術の複雑化やドメインの進化が、コンピュータ技術によって経済や生産力にいかに働いたかの歴史も興味深い、さらにテクノロジーが、自己組織と自己創出の力を得て、人力の手を離れて「進化」していく過程も重要な指摘に満ちている。
技術進化の「なだれ的崩壊」はシュムペーターの論に近い。トランジスタは1950年代技術集合体に参入し、真空管に変わり、シリコン素子製作のニーズを引き出し、真空管産業を衰退させ、電子機器の主要なコンポーネントになっていく。アーサー氏の技術進化論を呼んでいると、生命有機体の進化を感じてしまう。自己修復、自己構成、認知、自己集合と、現代テクノロジーは生物学に近づいてくる。不恰好な生命力としての技術論。
  私は、ハイデッカーの現代テクノロジー批判と、アーサー氏の論は対極にあるように思えた。巨大技術の事故化や、技術の欠陥などに対しても、アーサー氏は少し触れているが、自己修復と人力によっての進化発展というように、楽天的にも思えるのだが。(みすず書房、有賀祐二監修、日暮雅通訳)