カストロ『食人の形而上学』

ヴィヴェイロス・デ・カストロ『食人の形而上学

          ポスト構造主義の人類学といわれる。ブラジル・リオの人類学者カストロ氏が、西欧近代の人類学の批判を、アマゾンの先住民族の世界観をもとに、突きつけた面白い本である。
             食人というショッキングなテーマは、人類の動植物の捕食というあり方と連続して捕らえられている。この発想が私には宮沢賢治の仏教的な宇宙観を連想させた。宮沢も西欧近代の科学的形而上学と苦闘した人だ。
           食うと食われるという関係性の中で、「人間性」という原初的他者との関係性が生じてくるとカストロ氏はいう。この関係性が、カストロ氏の野生の身体の重視、人間と動物との連続性、生と死の連続性となる。
          身体のモデルは動物的身体であり、アマゾンの民族誌では、人間として装う動物はいないが、人間の身体は、動物の衣装で装われる。「人間が動物的衣装を身につけて動物になるか、動物が動物的衣装を脱ぎ、人間として現れるかいずれかである」という。
          アマゾン民族の身体的なメタモルファーゼは、西欧の霊的回心とおなじだが、反対物である。あらゆる動物は人間になりえる。カストロ氏のいうアマゾン民族は、オオカミはオオカミを、人間が人間を見ると同じに見るという。人間と動物の共通性は、動物性でなく、「人間性」であり、人間性とは「主体」が帯びる一般的形相である。
           カストロ氏は、多文化主義でなく「多自然主義」をいい、相対主義にたいして関係論や、視点の位相のちがいによる「パーステクティズム」を論じている。西欧近代の自己投影のナルシズムにたいし「アンチ・ナルシス」を提案している。
         アマゾンの他者と相互交錯する「ハイブリット」の世界観の魅力をカストロ氏は描いていく。それは精霊から人工知能ロボットまで含まれる「超人間」に及ぶ視野を持っている。
         翻訳者・檜垣立哉氏は、近代西欧の人権の敵との友愛にたいし、食人はハイブリットのものの同化であり、異なった視点の摂取行為だという。敵に対する敬う態度は、喰らうことだった。ヨーロッパ的人類学にたいする批判であり、『文化』と『自然』の壁を壊し連続性で捉える視点を含み持つ。
私の考えでは、カストロ氏のいう「多自然主義」は、土地の環境と「融即の論理」で、動植物と融合するアニミズムに近いのではないか。仏教でいう「山川草木悉皆仏性」なのである。カストロ氏もトーテミズムは言語の分類が入ってくると、あまり評価していない。(洛北出版、檜垣立哉、山崎吾郎訳、「現代思想「想特集 人類学のゆくえ」青土社