アガンベン『開かれ』

ジョルジュ・アガンベン『開かれ』



 イタリアの哲学者アガンベンはかって『ホモサケル』(以文社)で「死を政治化する」で脳死を取り上げ「身体の国有化」による政治権力による死の認定を「生権力」として論じていた。いまや臓器移植、遺伝子操作、クローン、脳死安楽死など人間の「剥き出しの生」への生権力の介入は、人間の生物化、動物化が政治権力の重要問題になってきているし、それは他方では動物の擬人化・人間化(生物多様性や動物愛護、クジラ保護など)とも見合ってきている。この本でアガンベンは今日の哲学の論題は、動物性と人間性とのあいだで還元されぬままに引き裂かれて張りつめているアポリアと符合するというように、人間と動物の剥き出しの生を論じたものである。そこには20世紀ナチによるユダヤ人の強制収容所での非人間化という原体験から発しているように思える。それは『アウシュビッの残りもの』(月曜社)という本で展開されている。
この本は読んでみて私には十分に理解できない深さがあると思った。人間と動物が交錯する未決定な臨界域を、アリストテレスからリンネの分類学、ヘッケル(個体発生は系統発生を繰り返すということを高校教科書で学んだ)ハックスレイ、ユクスキュルの動物学からバタイユ、ハイデカーの哲学までの広い視野で論じつくしている。ハイデッカーの動物の「放心」と人間の「倦怠」の同一の分析など面白い。人間と動物、人間と非人間の区別(アガンベンのいう人類学的機械)を停止し「剥き出しの生」に対する生政治を乗り越える哲学が示されていく。その中心が「開かれ」となる。訳者多賀氏と岡田氏の解題も力作である。注も充実している。(平凡社ライブラリー岡田温司・多賀健太郎訳)