バウマン『リキッド・モダニティを読み解く』

ジグムント・バウマン『リキッド・モダニティを読み解く』
     現代社会学者・バウマン氏は、後期近代を「流動化」(リキッド)という社会状況と位置づけて分析している。自由市場経済が、消費者ゲームとじて個人を流動化し、それに疎外された人々を産み出す。人々の行動や習慣が流動化し、残酷な椅子取りゲームになっていく。「液状不安」は、予期せぬ出来事がいつおこるかもしてない流動的不安もある。
    人間関係も、きわめてゆるく状況により変化し、世代間を始め、絆も流動化していく。この本は「液状化した現代世界からの44通の手紙」という形で、具体的な個々のテーマに則って論じられていてわかりやすい。文明批判になっている。
    「群れあう孤独」では、携帯電子機器がいかに一人ぼっちや孤独という機会を捨てさせ、個人の内省や想像力をなくさせ、コミュニケーションを形式的な空虚なものにしていくという。「親子の会話」では、現代の世代間不信は、現代の暮らし方から生じるとし、切れ目ない深い加速度的な変化が有る点から考察している。
     「オフライン オンライン」では、オフラインの生活世界と違い、オンラインでは接触相手は無限に増殖可能で、付き合う時間を短くし薄めるという。長期的関わりを嫌う傾向が生じるとも指摘している。「常に変わる自己」が必要で、最新の話題についていけない自己は捨てられ、インターネットは恒常的な「自己再発明」に追われていく。
     「鳥のごとく」では、ツイッターという鳥のさえずりという意味名を取り上げ、「我見られるがゆえに我あり」を本質とするという。我を見るか、見ようとする人が多ければ多いいほど、我の存在感が増す。行為や考え方、感じ方の内容でなく、有名人のように頻繁に見られることが、ツイッターだとする。これも流動化からくる。
     バウマン氏は、こうした液状化した現代社会を、政治経済、文化、健康医療、教育、都市、女性問題など横断的に論じていく。バウマン氏は、ポストモダンの「ノマド」的流動の負の側面を明らかにしようとしている。だが、それを超克する視点が、もうひとつ見えてこなかった。(ちくま学芸文庫、酒井邦秀訳)