K・ケリー『テクニウム』

K・ケリー『テクニウム』

  壮大なテクノロジー論である。ケリー氏は、テクノロジーの活動空間を「テクニウム」と定義している。私が驚いたのは、ケリー氏がテクノロジーを宇宙創造から、地球自然の生命誕生の「進化」の延長上として、人間の拡張として論じていることだ。
  石器からコンピュータにいたるテクノロジーの発展を、生命の生態系と同じように考えている。テクノロジーは、次第に自立共生して、自己生成していく。たった一本の自己生成の系が、宇宙、生命、テクノロジーの世界をひとつの創造に結び付けているという。
  ケリー氏のこうした視点は、現代のテクノロジーが、情報化。非物質化の方向に行き着きつつある認識があるからだろう。ケリー氏は、複雑性、多様性、専門性、偏在性、自由度、相互性、美しさ、感受性、構造性という点から、テクノロジーの軌跡を描いていて面白い。
  たとえば「自由度」では、宇宙の量子の崩壊やスピンに自由意志を見て、さらにDNAの突然変異や、生物の進化による自由選択にいたり、人間知性の選択自由から、テクノロジーの自立・自由を、ネットワークや検索エンジンの人間知性を超えた自由度の発展までにいたる。「ニューサイエンス」的な見方である。
  だが、ケリー氏は、手放しのテクノロジー至上の楽天主義でもない。テクノロジーに批判的なアーミュシュの現代技術との付き合い方も十分に描いている。またグリーン・テロリストで、爆弾魔だったユナボマーの、テクノロジーが自然を破壊し、人間を機械の奴隷(スマホ中毒など)にしていくという主張に理解を示している。
   いまや人間にとってテクノロジーは、自然のような生態系になっている。だが、福島原発事故や、自動車事故、飛行機事故、ネットウィルスなど「技術欠陥」も大きな問題になっている。
     ケリー氏がいうように「技術進化論」で、そうした欠陥は是正されていく可能性はあるが、テクノノロジー統一理論の礼賛は果たして正しいのだろうか。また資本主義生産構造と技術革新の進展が、ほとんど触れられていないのが残念である。この本は、現代を考える重要な本である。(みすず書房服部桂訳)