難波和彦編『建築家の読書塾』

難波和彦編『建築家の読書塾』

        重要な現代建築思想いや現代思想の読書会で、建築家が読み解き、東大名誉教授・難波氏が総括していく。モダニズムからポストモダンを経過して、建築からデザイン、都市論まで中核となる考え方が浮かび上がり、3・11東日本大震災以後の建築・政治状況まで視野にいれていて興味深い。
       
公共建築をトップダウン的計画でおこなうことから、市民のユーザーとしてのボトムアップへの代替つまり建築家と生活者・ユーザーの往還、さらに日常的時間や、建築や都市が与える人々の「無意識の影響」を重視しようとしている。だが国立競技場にみられる、工事費の上限をきめ、建設業者・ゼネコンと建築家を一体化する「デザイン・ビルド」は、果たしていいのかを疑問視している。
取り上げられる本が凄い。コールハース、ルドフスキー、ジェイコブズ、タフーリ、ベンヤミン、グーラン、磯崎新多木浩二、などの12冊の名著が取り上げられている。それらの本を「日常性」「複雑性」「歴史性」「無名性」「無意識」のキーワードで論じていく。現代が近代化というモダニズムの影響化から抜け出せないかが逆照射されてくる。
セルトー『日常的実践のポイエティーク』では、日常行為も一種の創造行為であり、生産と消費、製作と使用、アートとデザインの区別を無化することが説かれる。ルドフスキー『驚異の工匠たち』では、建築家なしの建築として、時間をかけた無名な建築に注目し、「自然と作為」を論じ、ポストモダンの先駆けの本とする。
 コールハース『S,L、M、ⅩⅠ、+』では『錯乱のニューヨーク』とともに論じられていて面白い。過密化していく大都市として、グリットや建築的ロボトミー、からスパーフラットなジェネリック(無名)でジャンクな建築論まで論争になっている。
  磯崎新『建築における日本的なもの』が論じられ、日本的なものは「表現=モノ」としては消えていくが、「態度=コト」としては根強く生き残るとしている。
       私が面白かったのは、建築だけでなくベンヤミン『パサージュ論』やプリゴジン『混沌からの秩序』、グーラン『身ぶりと言葉』ギブソン生態学的視覚論』などを取り上げていて、モダンとポストモダンの背景が浮き彫りにされてくることである。(みすず書房