井上章一『現代の建築家』

井上章一『現代の建築家』

  イタリア・ルネッサンス時代の16世紀にダ・ヴィンチミケランジェロなどの画家の伝記や作品を描いたヴァザーリ『ヅネッサンス画人伝』(白水社)がある。私は、井上氏の『現代の建築家』を読みながら、ヴァザーリを連想した。
      この本は長野宇平治から安藤忠雄まで19世紀末から20世紀末までの日本の建築家20人の伝記と作品を、丹念な資料文献に当たり描いたものである。そこには、井上氏の書き方の面白さが溢れている。逸話だけでなく、建築家の発言や、伝記的デッサン、さらに建築を見た感想・批評まで含まれている。ともかく面白い。
     たとえば吉田五十八関東大震災後に「新興数奇屋」という和風建築で関西文化を東漸させた吉田が、大田胃酸の社長の御曹司に生まれ、モダンエイジの道楽息子で花街に通い、長唄をうまく歌い、その建築が「凍れる長唄」だと評された。堀口捨己が、数奇屋や茶室を重視したが、吉田を嫌ったのは、その花柳好みだったという話。
      だが震災で縦と横の軸組の弱さがわかり、筋交いなど斜材を入れた大壁作りが進められ、吉田は偽りの構造といわれた和風の「付け柱」を装飾として付けていく。
   渡辺仁、吉田鉄郎、松室重光、妻木頼黄、谷口吉郎など、戦前、戦中の日本趣味とモダンデザイン、フアシズム的新古典主義の葛藤に生き、今も残る建築作品を生き方と作品で論じていくのは、日本の脱亜の近代化の問題とも絡み面白い。植民地に西欧古典建築の威圧で松室などがつくつた「旧大連ヤマトホテル」など、日本のコロニアリズムが「脱亜入欧」だったことも指摘されている。
  板倉準三、前川國男から丹下健三村野藤吾の、日本趣味とモダンデザインの融合をひとつの鍵として提示していく。板倉のモダンデザインに日本を滲ませ、グリル格子とナマコ壁でつくつた作品にその後の、ポストモダン建築の先駆けを見ている。
   日本には、国粋主義の建築は生まれなかったと井上氏は見ている。西欧のように古典主義が強く、街並み建築も集団主義的なのに対して、日本建築家の自我の個性は、新古典主義にも機能的モダンデザインにも、ポストモダンにもたやすく同化してきた。その造形志向が、丹下や村野、黒川紀章の都市造形欲求に結びつき、さらに篠原一男磯崎新安藤忠雄の異形の個性に発展していくことまで、井上氏は描いていく。
     力作であり、傑作な本だと思う、(エーディーエー・エディタ・トーキョー発行)