原民喜『原民喜全詩集』

原民喜を読む(1)
原民喜全詩集』

     広島原爆被爆の小説『夏の花』を書いた原は、また詩人だった。この全詩集には、散文詩から四行詩、カタカナ詩のすべてが収められている。この岩波文庫では、「拾遺詩篇」の「かげろう断章」という遺稿も入っている。
     「原爆小景」というカタカナ詩は、原が被爆した広島市京橋川河畔で野宿した経験を克明に記録詩として書いたものである。「コレガ人間ナノデス 原子爆弾に依ル変化ヲゴラン下サイ 肉体ガ恐ロシク膨張シ」から始まり、「ギラギラノ破片ヤ 灰白ノ燃エガラガ ヒロヒロトシタ パノラマノヨウニ」の詩、さらに「水ヲ下サイ アア 水ヲ下サイ ノマシテクダサイ」という詩が続く。漢字交じりのカタカナが、生々しい非人間の状態を描き出す。
    この小景の最後だけ「永遠のみどり」というひらがなの詩になっていて「ヒロシマのデルタに 若葉うずまけ 死と焔の記憶に よき祈よ こもれ」という悲しみと希望の鎮魂歌になっている。
    原は、死者の幻との対話的悲歌を歌う詩人だと思う。原爆被爆の1年前に33歳で愛妻が病死している。「もし妻と死別したら、一年間だけ生き残ろう、悲しい美しい、一冊の詩集を書き残すために」原の散文詩「ある時刻」「小さな庭」「画集」は、亡き妻の幻との共生を歌っている。
「わたしが望みを見うしなって暗がりの部屋に横たわっているとき、どうしてお前は感じとったのか。この窓のすき間の、あたかも小さな霊魂のごとく滑りおりて憩らっていた、稀なる星よ」被爆死者と、死者としての妻が重なっていくようだ。
    原の四行詩は、俳句的な香りがする。「遠き日の石に刻み 砂に影落ち 崩れ墜つ 天地のまなか 一輪の花の幻」
    原は1951年に,中央線西荻窪―吉祥寺間の線路に横たわり自殺する。「私は歩み去ろう 今こそ消え去って行きたいのだ 透明のなかに 永遠のかなたに」(岩波文庫