J・ル=ゴフ『中世の身体』

J・ル=ゴフ『中世の身体』

   アナール派歴史学者・ル=ゴフの西欧中世の身体史である。長期持続という「ゆるやかな歴史」を重視する歴史学だけあって、身体的慣習、死と医、食、入浴、身体有機体のメタファーの政治、などが扱われている。西欧中世が、キリスト教文明によって、いかに身体の「文明化の過程」を経ていったか、「身体革命」の時代を浮き彫りにしている。
   魂と身体を分離したのは17世紀古典主義的の理性であり、中世は融合しているとル=ゴフはいう。身体の抑圧と解放は、キリスト教の断食の四旬節と、放縦の謝肉祭の両立にあるという。キリスト教は、原罪を性的罪に転換し、精進と禁欲の節制を重視した。聖フランチェスコの「喜ばしき清貧」や、修道士の身体苦行重視がある一方、身体の解放として謝肉祭的喜びもあった。ヴィヨンの詩集は身体の解放を歌う。
   身体の病と医は、ペスト流行時代でもあり、死者たちの存在でも大きな変革をもたらした。「生と死」の歴史が、ル=ゴフの本では、詳しく書かれている。慈愛と弱さにたいする「救済社会」が、西欧中世に誕生している。ル=ゴフは、歴史学者アリエスの中世の死は家族に取り囲まれた「穏やかな死」だというのを批判し、死者の個人化・孤独化が強まったと見ている。
   キリスト教と宮廷社会の成立で、身体的慣習が規範的コード化されていく。食道楽と美食や、食にナイフ・フォークを使うマナーが形成されていく。裸体か着衣かや、身振りの洗練かにも触れている。だが、古代ギリシア・ローマ文明と大きく異なるのは、入浴とスポーツの消滅だというのは面白い。
  中世では、人間=小宇宙と考えられ、政治社会も身体という有機体論のメタファーで論じられており、「王の二つの身体」や、脳(聖職者)か心臓(君主)かの論争も、「国家は一つの身体である」と論じられていた。
  西洋文明の根幹は「身体」にあるという歴史観は、現代を見る場合にも重要である。「生の政治」や、先進医学の再生医療や、生殖革命、脳死問題、食問題などにまで引き継がれていく。(藤原書店池田健二・菅沼潤訳)