ダンテ『新生』

ダンテ『新生』
   13世紀イタリアの詩人ダンテが、若いとき書いた「詩物語」である。西欧文学の古典で、恋愛感情を聖なる女性崇拝にまで高めたといわれ、恋人ベアトリーチェは、「永遠の恋人」の名称になった。
   私は、この詩物語を読み、恋人を尊敬し、高潔な崇拝を捧げる恋愛詩というよりも、若くして死んでいったベアトリーチェの「挽歌」としての傑作だとおもった。私が妻をなくし「やもめ状態」であるためかもしれない。とくに後半のベアトーリチェを愛惜し、哀燐の感情を歌う詩は、傑作である。ベアトリーチェは。至高天の聖母マリアの横に存在することになる。
   「哀の神」と「死の神」の相克の中で、ベアトリーチェ崇拝は価値を高める。「対幻想」の最たるものだ。9歳の時の出会いから20代後半で死んでしまうベアトリーチェにたいして、ダンテはあくまでも受動的であり、「依存的愛 」なのである。
   高貴な婦人に対する騎士的な宮廷恋愛が、都市の市民の社交生活での、女性に対する賛美的愛に転換している。愛の苦悩が、純化され、高潔な慈愛 という無償な愛に変換していく。聖母マリアの崇拝に近い。その「甘え的愛」は、エディプス的母性依存を、根底にひめているのではないか。ダンテは10歳の時母を亡くし父は再婚していた。ダンテは「喪失の人」で、母、恋人、祖国を失った。
   問題は、ダンテの清新体という詩を、いかに日本語に訳すかという難題だ。私は平明な口語訳といわれる平川裕弘氏の訳と、文語訳の山川丙三郎訳で読んだ。詩そのものを幾つか訳した上田敏海潮音』も目を通して見た。それぞれ名訳だと思うが、詩としては受け取り方が大部違うと思った。
   平川訳「あの人がにっこりと挨拶を返すと 優しさが目から心へしみいるような気がする それは感じた人でなければわからない優しさだ」
   山川訳「またその姿もて、見る人いたく喜ばし、験さぬ人の知りがたき麗しさをば 目により心に與ふ」
   詩と散文の併置は『伊勢物語』や、ボエチウス『哲学の慰め』にみられるが、ダンテは自作の解釈まで「自己言及」する20世紀文学の手法を先取りしている。
平川祐弘訳『新生』(河出文庫)山川丙三郎訳『新生』(岩波文庫