オブライエン『本当の戦争の話をしよう』

オブライエン『本当の戦争の話をしよう』

                イラク戦争海兵隊で戦ったフライ氏の『一時帰還』を読んで、45年前に歩兵としてベチナム戦争に従軍した1990年のオブライエンの小説を読んだ。どちらも帰還してから戦争体験をもとに、アメリカの戦争体験を現場でして生きて帰還してから、小説に書いたことが共通している。
                どちらも現実の戦場が基盤になっている。時代も戦場も違うから、両者の小説は異なる。だが、いかに戦場の記憶が精神に大きな影響を与えているかがわかる。この小説は、作家のオブライエン氏も実名で登場するし、短編小説が連環になっていて、その間を超短編が橋のように架かっている。
                ベトナムの農村や森林、草原で、ゲリラ戦をいかに戦ったかが描かれている。が同時にアメリカでの幼少年期の記憶や、帰還後の苦しさなども描かれている。だが、これは戦場で死んでいった死者の物語だ。日盛りの小道で、手榴弾で殺したベトナム兵も、豚小屋の横で大の字に死んだベトナムの老人もふくめてである。
                 木陰から笑いながら一歩踏みだし銃撃されセメント袋のように死んだ戦友、砲弾で怪我し沼に沈んでいく戦友、木の枝の間まで吹き飛びつる下がった戦友、それらの人々との戦場での交友が語られる。
オブライエン氏は書く。お話は我々を救済できる。お話は夢想行為だが、死者たちは時には微笑み、起きあがってこの世界に戻ってくる。慰霊の小説なのだ。本当の戦争の話は徳性も教訓もない。猥雑な言葉や悪意と切っても切れない。一般法則もない。それらは抽象論や解析で簡単にかたづけられない。
                 戦争は地獄だとはいえない。謎で恐怖で冒険で勇気で発見で絶望であり、憧れであり愛である。戦争は君を大人に変え、君を死者にかえるという。戦争で明確に物事を捕らえる感覚を失うから、戦争の話には絶対的真実は存在しないともいう。
                 そうだとしても私は「ソン。チャポンの恋人」が面白かった。チャンポン村に駐留した若き米兵が、戦闘がないので一時恋人を呼び寄せる。19歳の若き女性が次第にベトナク戦場の緊張の魅力にとりつかれ、特殊部隊の兵たちと一緒に、偵察や待ち伏せに参加し基地に帰らず行方不明になる。コンラットの小説『闇の奥』のようだ。(文春文庫、村上春樹訳)