『パウル・ツェラン詩文集』

パウル・ツェラン詩文集』

 ツェランの詩「かつて、死に人が群れていたころ/あなたは身をひそませた、わたしのなかに。」(「かつて」)
    「あなたがわたしのなかで死に絶えるときーーちぎられる最後の息の結び目のなかに/なおもあなたは/隠れこむ、/一片の/いのちとともに」(「あなたが」)
    ツェランの父母はナチの強制収容所で死ぬ。ツェランも収容所で労働させられるが生き延び、1970年セーヌ川に投身自殺する。プリーモ・レーヴィに似ている。旧ルーマニア生まれで、戦後ドイツの最大の詩人といわれる。言葉で屹立し、絶望のなか、死者(特に母親の面影)とともに共生して、対話しようとした。だが単なる挽歌ではない。
    詩「死のフーガ」は、ドイツの高校教科書にのつているというが、強制収容所を歌っている。
    「彼はどなる甘美な死を奏でろ死はドイツから来た名手/彼はどなるもっと暗欝にヴァイオリンを奏でろそうしたらお前らは/煙となって空に立ち昇る/そうしたらお前らは雲の中に墓を持てるそこなら寝るのに狭くない」。
    この本には、ツェランの散文や評論が収められているのがいい。1959年書かれた「山中の対話」は、哲学者アドルノとの虚構の対話を描いたもので、ツェランの絶望を示している。編訳者の飯吉光夫氏によれば、3つの絶望を描き死者ならぬ生者への愛を復活させようという試みだという。第一の絶望は、自然の異変(災危)にあって対処できない絶望、第二には、極限状況で人間同士の愛が存在しなくなる絶望、第三は事後なすすべもなく生きている絶望だという。
     ツェランは、死者への強すぎる憧憬と、生と詩の破局への予感から逃れられなかったのである。「落石」という詩。     「甲虫たちの背後への落石。/そのときぼくは見た。嘘をつかぬ一匹が/みずからの絶望に立ちかえり立ちつくすのを/おまえの孤独の嵐のように、/この一匹にも、はるか/かなたを歩む静けさがめぐまれる」(白水社、飯吉光夫編・訳)