森村進『法哲学講義』

森村進法哲学講義』
   私達は法に充満した社会に生きている。国会で、次々法律が作られる。最高裁はじめ司法判断は、重要な判決を出す。憲法改正問題もある。裁判員制度で、法廷に出て法解釈に参画する。だが、「法とはなにか」や「正義とはなのか」「道徳とはなにか」という根源的な問いを考えることはない。森村氏の本では、そうした根源的な「法哲学」の現代的な考えを知ることができる。
   森村氏は、現代の法哲学では、ハートの「法実証主義」に親近性をもっていると思われる。だからドゥオーキンの「法解釈的理論」には批判的とも読める。ケルゼンの「純粋法学」を加えての3人の法哲学の紹介は、専門的で難しい面もあるが、読んでいてスリルがあつて面白い、いかに対立点があるかが明快になる。
   現代法哲学者ハートは、①法は命令である②法と道徳に必然的関連なし③法的概念の分析の重要性④法体系は完結した論理体系⑤道徳的判断は合理的論証・証拠では下されないと主張している。ハートは自然法的な「一次ルール」と、承認・変更・裁定の「二次ルール」とに分ける。
   これに対しドゥオーキンは、法はすべての市民が参加し、その上に裁判を司る法廷による法実務者の法解釈が、「法の帝国」の法概念だと考える。ハート=ドゥオーキン論争は興味深い。ドゥオーキンは、法とは何かよりも、特定の法の判決という司法判断をより重視する。解釈が法を創造するとも読める。
   森村氏の正義論も面白かった。ロールズの平等主義的分配の正義論の是非を綿密に紹介している。だが、森村氏の立場は、平等ではなく、国家からの干渉をすくなくするノージックの「リバタリアリズム」に親近感をもっているよも読めた。だから、サンデルなど共同的正義の「コミュニタリズム」には厳しいようだ。
   メタ倫理学として道徳の根源を論じているが、こらから日本でも始まる「道徳教育」の基盤を考えるためにも、読んでおきたい。(筑摩書房・筑摩選書)
   「私感断章・法哲学憲法第九条」
 1 この本を読み、私は憲法九条は、ハートのいう「法実証主義」による法律でなく、道徳としての「自然法」と見るしかないと思った。規範的な正義論ではあるが、法としてはみられていない。だから統治支配者(議会多数派)を制約し命令する立憲主義の法でなく、既成事実行為のほうが上位にくる。違法意識は薄くなる、
 2  ロールズの正義論は、国際法には当てはめられていない。だから武装国と非武装国との格差に対する「分配的平等正義」は当てはまらない。不正義にさらされている。九条の国際的な空文化につながる。
 3  フランスの哲学者デリダは「アメリカ独立宣言」という論文で独立宣言の署名者「善良な人民」は、そのとき存在せず、この宣言前にはそのものとして存在しない。署名が署名者を発明する。オースティの「事実確認的」言明でなく、約束・制約の「言語行為遂行的」言明だったという。(『他者の耳』産業図書)独立宣言の冒頭の「自然法と自然の神の法」の基礎がいわれる。独立戦争という暴力と神秘的基礎。
  憲法九条の「国民は」戦争と武力を「永久にこれを放棄する」の「国民」は存在しなかった。独立宣言の「神」は、日本国憲法では、「自然法」と「アメリカ」なのである。この法の「反覆可能性」と「国民」の創設が未完に終わっている
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