イヴォーリン・ウォー『ご遺体』

イヴォーリン・ウォーの小説を読む(3)
   ウォー『ご遺体』
  日本映画で納棺師をあつかった「おくりびと」というのがあった。本木雅弘が好演していた。死者と遺族に敬愛をもって「職人」芸で、清掃・化粧。などを行い、納棺していく。これに反し、ウォーの小説は、ブラックユーモアをもって、アメリカ・ハリウッドの葬儀産業を描いていくのだ。ビジネスライクな、コスメや遺体処理師のクールな「技術」的な対応が書かれている。
  そこは、工場のような流れ作業と、ディズニーランドのような公園エンターチメントの場所である。英国人であるウォーが、アメリカ文明を風刺しているとも読める。ハリウッドにいて、いごこちが悪い異国人のイギリス人を、ユーモアもって描いている。英米の葛藤といえるが、ヘンリー・ジェイムスの小説のよな、真剣さががなく、コミカルなのがウォーの小説なのである。
  英国人でヘボ詩人バーロウが勤めているのが、ペット葬儀社というのも皮肉である、ペットの葬儀産業から、人間の葬儀産業に移っていくのは見事だ。英国人のヘボ詩人バーロウが、コスメ(死化粧)担当の美女エイメと恋愛におちいるが、恋敵の死体処理師ジョイボーイとの三角関係が主題になる。だが、自殺で始まり、自殺で終わる悲劇性が、ブラックユーモアで滑稽に描かれていく。こうしたウォーには好悪があるだろう。
  ハリウッドという映画産業とともに、そには仮想文明がある、バーロウがエイメにおくる恋の詩は、みな英国有名詩人のコピーだし、人生相談の導師も詐欺まがいの仮想だし、遺体処理も表面だけ、装飾する虚構の物語制作なのである。この辺も「おくりびと」と対照的だといえよう。だが、ウォーの風刺がひかるところだ。(光文社古典新訳文庫、小林彰夫訳)、