木畑洋一『二〇世紀の歴史』

木畑洋一『二〇世紀の歴史』

   世界史を、これまでの西欧中心史観から脱却して描こうとする歴史学の動きがある。グローバル・ヒストリーの視点である。木畑氏のこの本は、二〇世紀の世界史を「帝国主義の時代」という視点で通史を描く。1870年からソ連崩壊による帝国主義終焉までの1990年初頭に至る「長い20世紀」という視野で書いている。
   英国の歴史家・ホブズボームが第一次世界大戦(1914年)からソ連崩壊(1991年)までを「短い二〇世紀」として描くのと対照的だ。木畑氏はそれをヨーロッパ中心史観と見ている。
この本は①1870代から帝国世界が形成される第一次世界大戦まで②第一次大戦から1920年代までの動揺の時期③世界恐慌期から第二次世界大戦までの帝国世界再編をめぐる攻防④第二次世界大戦後から冷戦終了までの帝国世界の解体という叙述になっている。
   「長い二〇世紀」が、西欧によるアフリカ分割から書きだされている。それは1990年ナミビア独立で、独立国民国家で覆われ、南アフリカの人種差別終結宣言とともに終わる。東欧の帝国世界は、ソ連解体で終わる。国民国家とグローバリゼーション世界の形成が、二〇世紀の激動の世界史を彩っている。
   帝国世界が、戦争と暴力に満ちた世界だったかを木畑氏は描いていく。私はこの本を読み、二〇世紀が、いかに他の世紀に比べ支配―被支配による「大量虐殺の時代」だったかを知った。世界戦争や内戦、地域民族紛争は、古代、中世には考えられない大量虐殺と、難民を産み出したのだ。
   一部の西欧諸国の植民地獲得競争は、世界大戦を起こし、脱植民地による独立国家樹立も、米ソ冷戦と連動し、多くの虐殺を起こしている。帝国世界は、暴力の世界であった。米ソも帝国世界だった。そこには、先進国の「帝国意識」というイデオロギーが存在する。木畑氏の帝国世界は、権力の領域的中心を否定するネグリ氏とハート氏のシステムや階層性による規範と正統性による支配とは、別物である。それは暴力支配に近い。
   小畑氏は、帝国世界解体後を国民国家の時代と見ている、安易なアメリカ帝国論や地域統合論をとらない。21世紀は帝国主義ではくくれない時代に入りつつあるともいう。地球的格差もあるが、インドと中国という巨大国家の存在による18世紀以前の世界史、世界経済に帰る時代になるかもしれないと指摘している。
   だとすれば、二〇世紀は世界史における異常な逸脱の時代ということになるかもしれない。(岩波新書