プリーモ・レーヴィ『休戦』

プリーモ・レーヴィ『休戦』

    
    2015年1月27日は、ナチスドイツのアウシュビッツ強制収容所しが、ソ連軍によって解放されてから70年になる。この記念式典が開かれ、独、仏、ポーランド大統領らが出席した。元収容者も高齢のため、最後の出席といわれる。
    イタリアのユダヤ系作家で、この絶滅収容所から奇蹟的に生還した作家・レーヴィ(イタリア系ユダヤ人650人が収容され、生き延びたのは24人)は、1987年自殺した。収容所生活は『アウシュビッツは終わらない』や『溺れるものと救われるもの』(共に朝日新聞社)から出版されている。この二冊がホメロスの「イリアス」だとすれば、『休戦』は、「オデュッセイア」である。
    死の世界で身も心も恥辱で砕かれた者が、解放され故郷イタリア・トリノまで生還する9カ月に、ポーランドウクライナベラルーシルーマニアオーストリアを経て、いかに苦難の旅の中に生き延びていったかの記録である。訳者・竹山博英氏は、前著がダンテ『神曲』の「地獄編」で、この書が「煉獄編」だと述べている。
    20世紀の傑作であり、古典として残る本である。収容所で、心に傷を負ったユダヤ人たち(「溺れたもの」)が、戦後の世界を帰還のため放浪の旅をしながら、いかに日常の人間性を取り戻していくかの苦難の物語である。だが、英雄オデュッセイアと違い、「悪」の世界で打ち砕かれた人々(アンチ英雄)の帰還の旅は、たやすいものでなかった。
    戦場だった村落や町々に滞在し、保護者のソ連兵らとの関係のなか、なかなか解放されない宙ぶらりんの帰還が描かれる、様々な収容されていた人びとの生き延びる個性が、多く描かれている。またロシア人や、ドイツ人の姿や、女性や子供の悲惨な姿も多く書かれている。極限状況下の人間とは何かが、悲しみと共にレーヴィは描く。迫力がある。
   この本の基底には、アウシュビッツで打ち砕かれた人間が、故郷に帰還しても、そのトラウマは回復せず、自殺していく悲劇がある。近代文明社会とは、何だったのかを考えさせられる。
   解放されたのに、レーヴィはなぜ「休戦」という意味深い題名をつけたのか。米ソ冷戦開始のあいだの休戦期とみたのだろうか。それとも、再び人種差別、民族差別、宗教差別による絶滅収容所時代が来る間の、休戦期と予知したのか。昨今の世界状況をみると、妄想とも思えなくなる。(岩波文庫、竹山博英訳)