ジャット『失われた二〇世紀』(上卷)

トニー・ジャット『失われた二〇世紀』(上)

    ヨーロッパ現代史のジャット氏(2010年死去)は、二〇世紀は過ぎ去ったとはいえないのに、論争やドグマ、その理想や恐怖は 曖昧模糊とした誤った記憶に転落し、連続性を否定し、積極的に「忘却」しょうとしているという。「新奇さ」を追い求め、過去には特に学ぶ必要がないという風潮を憂い、この本を書いた。
    ジャット氏は、20世紀の何を忘却しようとしているのかを問う。第一は戦争の意味を忘れ、とくに内戦を忘れようとした。合衆国では、戦争をなるべく忘れようとし、肯定的にとらえているという。軍隊を美化し賛美する感情が残っている。
    第二には、国家の隆盛とそれに続く衰退だという。隆盛は国家による組織と資源の独占と市民生活への介入という「福祉国家」への権力集中であり、戦争国家という「全体主義」への変貌だった。ファシズムソ連型国家統制社会主義の崩壊は、より効率を求める「新自由主義市場主義」に転換する。それは裏表なのだとジャット氏はいう。
    第三に、ジャット氏があげるのは知識人の消滅だという。「進歩的知識人」は消えていった。ジャット氏がその代わりにあげるのは、「根無し草の世紀の航海者たち」である。この上巻では、そうした知識人が、国家主義マルクス主義にどう取り組んだかを、10人の知識人を取り上げ論じている。ケストラー、プリーモ・レヴィ、シュペルバー、アーレントカミュアルチュセール、ホブズボーム、コワコフスキ、パウロ二世、サイードである。いずれも面白く読める。
   ジャット氏がロンドンのユダヤ人家庭にうまれ、イスラエルに移住・幻滅し、アメリカに移民として住み、ニューヨーク大教授になったから、ユダヤ知識人が多い。社会民主主義者であるから、二〇世紀のマルクス主義には厳しい評価をしている。
   私が面白く読んだのは、「根無し草のコスモポリタン」といわれるサイードについての論考である。パレスチナ人であるサイードの「帰還権」を中心とした単一国家・二民族という提案は、ジャット氏も同意している。難民・移民・流民の時代は、21世紀にも続いている。二〇世紀は「未完の世紀」だと思う。(NTT出版、河野真太郎ら訳)