エリアス『モーツァルト』

エリアス『モーツァルト

   モーツァルトの弦楽五重奏曲第3番と第4番を聴きながら読む。激しい悲劇的気分に、突如道化じみた軽やかな、やや浅薄なメロディーが現れ、それが繰り返される。エリアスの言うとおりだ。私は「哀しみ」の中に「喜び」の楽しさがあると思う。
 「宮廷社会」を書いた社会学者エリアスは「宮廷職人の芸術から自由芸術家への移行」の葛藤や、個人的ファンタジーの流れを、自由な芸術的良心で「浄化」する近代性をもとに、その両面感情に生き、挫折していった「モーツァルトの悲劇」を描いている。
    モーツァルトは「フランス革命直前の人」だった、絶対主義的な権力構造と、洗練された宮廷人のなかでの音楽家は、料理人などと同じ従者に過ぎない。モーツァルトの父はザルツブルグの副楽長まで務めるが、息子に3歳から音楽の英才教育を行い。ヨーロッパの宮廷を廻り、「天才=神童」を手段に出世と資産を得ようとする。
   25歳のモーツァルトの結婚による反抗まで父の支配は続く。モーツァルトの幼児性の持続をエリアスは指摘している。
  父からの自立は同時に封建領主ザルツブルグ伯爵のパワハラへの反逆であり、ウィーンでの自由なアウトサイダーの生活に入り、数々の傑作を作曲していく。このたった一人の反逆がなければ、モーツァルトは、宮廷職人で終わってしまったとエリアスはいう。
  だが、宮廷社会から見捨てられたことは、資本主義の自由音楽市場が、まだ未完成なこの時代には、モーツァルトを孤独と疎外に追い込んでいく。フランス革命以後のベートーベンの普遍的自由の合唱ではなく、モーツァルト封建制と資本制の間、市民社会と宮廷社会の中間の「境界人」であり、その音楽にも「両面感情」が出ている。オペラ「フィガロの結婚」は、その成果が出ている。宮廷社会における市民芸術家とエリアスは見る。
  たえず愛情を求めながら孤独の大都会ウィーンで、変わりやすい流行にも見捨てられ、妻も不在が多く、モーツァルトは生きる意味を喪失し、社会的存在として挫折したことが、35歳の若い死をもたらした。その「断念と放棄」をエリアスは悲劇という。
  だが、そうした悲劇の中で、遊びと喜ぶ楽しさの洗練性を作品化していったことこそ、モーツァルトの偉大性だと私は思うのだ。弦楽五重奏曲を聴くと、遊ぼう、踊ろうと誘いながら、涙が溢れんばかりのモーツァルトが浮かんでくる。(法政大学出版局。青木隆嘉訳)