中山康樹『ロックの歴史』

中山康樹『ロックの歴史』

   2012年ロンドン五輪開会式で、ポール・マッカートニーが「ヘイ・ジュード」を歌い、ミック・ジャガーが「サー」の称号を贈られるなど、ブリテッシュ・ロックは音楽界で確立している。若者の音楽といわれたロックだが、それを荷なった世代は、70歳を超えている。いまや「ロックの歴史」が語られる時と、中山氏は英米の歴史を詳しく描いている。
   英国は第二次世界大戦が終わるまでジャズ後進国であり、音楽的鎖国だった。戦争が終わり、1960年に徴兵制度が廃止されてから、本来なかった2年間が若者を音楽に没頭させ、多くのロック・ブルースのバンドが誕生したという中山氏の見方は面白い。ビートルズやローリングストンは、銃器や兵器をエレクトリック・ギターやドラムスに変わえという訳か。
   56年米国でプレスリー出現は大きいが、ロックの攻撃性を封印し、黒人性を消すという限界があった。英国は安価なギターによる5千もの「スキッフル」バンドが活動し、中山氏はクリフ・リチャードから始まったという。ギターはハンク・マービンからエリック・クラプトンへと引き継がれる。
   ビートルズリバプールという周辺の港町からドイツの港町ハンブルグで60年代に誕生する。ロンドン周辺ではローリング・ストーンズが出て「黒いブルース」から「白いロック」に転化する。この歴史を中山氏は綿密に描く。ロンドンとリバプールの相違も面白い。中山氏によると、リバプールは英国でなかったという見方で面白い。そういえば16世紀以後アフリカから黒人をアメリカ新大陸に売買した三角貿易の中継地だった。
   1964年ビートルズの「ラバー・ソウル」以前と以後を「アルバムの時代」の夜明けとして捉えている。英国化する米国ロックは、ビートルズアメリカ侵略としてみられたのは、何故かも論じられている。だが、中山氏は米国の逆襲として、1966年のジミー・ヘンドリックスの英国への衝撃を見て、黒人音楽の激しさの復活を書いている。
   「サージェント・ペパーズ」をレコード芸術極致という。モンタレーやウッドストック音楽祭は、ロックの歴史では人種、国境を越えた「統合の時代」の始まりだった。米国からフォークロックのボブ・デイランが出てくる。71年のレオン・ラッセルを触媒としたバングラデシュ・コンサートは、「統合の時代」の象徴である。
   中山氏は未来について、「常に60年代が起点になり、進んでは起点に戻るということをくり返し、いまも前進している」と締めくくっている。(講談社現代新書