イプセン戯曲を読む(2)『野鴨』

イプセン戯曲を読む(2)
『野鴨』

  『民衆の敵』では、社会的な秘密の隠蔽を情報公開しようとする正義のドラマを書いたイプセンが、この戯曲では、私生活のプライベートな隠蔽された秘密を暴くことによって、平穏な幸福の家庭が崩壊する劇を描いた。過去の秘密の欺瞞で築かれた家庭を、真実に目覚めさせ、新生活の再出発を目指す使命に燃えた「正義の人」が、その暴露で、友人の家庭を壊し、その子供である14歳の少女を死に追いやってしまう。
  その「正義の人」グレーゲルスは善意・良心の人かもしれないが、外部から友人の家庭に介入する「子供の正義漢」なのかと思わせる。製材企業経営者の息子だが、父親が母親に対して女遊びで苦しめて死なせ、共同経営者に商売上の買い占めの罪を押し付けて有罪にしたことが許せず、父に反抗し、その共同経営者の友人の息子が、父が関係した同家の家政婦を妻にしていることが不満である。私から見るとマザコンの典型に思える。父の工場で働く依存性なのに、その愛人を息子の友人と結婚させ娘を産み、家計を助けていることの秘密を、その娘が実は父の子であることを知り、友人に漏らす。
  父への復讐としか思えない。この友人エクタル家は、祖父が罪を被り服役し、妻は愛人であり、娘は父の子という傷つけられた一家である。グレーゲルスの父が狩りで撃った野鴨を助け自宅に飼っている。この野鴨はエクタル一家を象徴しており、息子グレーゲルスの秘密暴露で、エクタルを実父と思っていた娘が疎外され、野鴨をピストルで撃とうとして自分の胸を撃ち死ぬことで劇は幕が下りる。
私生活での秘密暴露が、当事者自らの内面の自発性ではなく、外部からの介入で行われることが、事実だとしても果たして「正義」なのかが問われている。「秘密」は公共性の場合と、プライバシーの場合とは大きく異なるのである。
  過去の過ちを秘密にしながら、平凡だが幸せな生活を送っている家庭を、第三者がそれを善意で暴露し介入することが許されるのかが、この劇の主題だと思う。(岩波文庫、原千代海訳)