「ウルフを読む(その1)」『灯台へ』

ヴァージニア・ウルフを読む」(その1)
灯台へ

 この小説は、時間の流れを、それぞれの人物の心理的印象という「意識」の流れの集積で描いている。舞台は、中流知識階級であるラムゼイ家の島の別荘である。離れたところに灯台のある離島があり、一家で天気なら灯台へ明日行くというところから始まる。夫は60歳、妻は50歳代、子どもは8人、一番末のジェイムズは6歳である。その別荘には女性画家や詩人、婚約する若い男女、夫の弟子などが滞在しているのだ。
 晩さん会をピークに人々の心理関係が繊細な筆致で描かれるが、その心理的葛藤は凄まじい。夫婦関係。親子関係、男女関係、友人関係が、それぞれの「意識」だけの葛藤としてえがかれるが、表面は平穏で平凡な一家の別荘滞在の日々なのである。だが、自己中心的で横暴と意識上で子どもに見られているラムゼイ氏に、母ラムゼイ夫人と自分を共に被害者と考える末っ子ジェイムズの、憎しみは灯台に行けないと広言する父に向けられている。ラムゼイ夫人は、日常の移ろいいく一瞬一瞬を永遠のように生きる。人になにかをを与えようとする優しさと、人間関係の調和を求め家族を纏めていく寛容さがる。
 だが10年後の第二部になると、突如ラムゼイ夫人が急死し、長男は第一次世界大戦で戦死、長女は結婚するが、お産で死ぬ。空き家になり、荒廃していく別荘の描写が、即物的に描かれていく。この非連続が凄い。
 第三部になると、死んだ妻の願いを叶えようと老人になったラムゼイ氏が末息子で17歳になったジェイムズと末娘と共に、舟を借りて灯台を目指す。女画家も呼ばれ、絵を別荘で再び描きだす。心理印象の意識の流れが復活する。ラムゼイ夫人の思い出と幻影が画家に現れる。息子と娘は老化した父の横暴と自己中心にたいして、寛容な和解心理を持ちだす。家族小説のように見えるが、孤独な個人の人間関係の心理が、親密であればあるほどどす黒く流れ、それをいかに寛容と愛の関係の構築していくのかが、灯台行き(ラムゼイ夫人)という象徴的達成に暗示されている。人生とは何かがその底に感じ取れる小説である。(みすず書房、伊吹知勢訳)