イプセン戯曲を読む(3)『ヘッダ・ガーブリエル』

イプセン戯曲を読む(3)
『ヘッタ・ガーブレル』

  この戯曲の女主人公ヘッタ・ガーブリエルという夫人は、美しく魅力的だが、学者と結婚した。だが退屈で生きる目的が見えてこない。その欲求不満はつのっていくが、なににも生きる目的を見出すことが出来ない。家を出て仕事をすることもできず、気位は高いが、勇気はない。
 夫を愛しているのかどうかも明確でない。自立の誇りはあるが、なにもしないで、夫による生活に依存している。ブルジョアの専業主婦の悩みに似ている。結婚したばかりだから、子供はいない。
  だが嫉妬深い。独身時代自分を愛し、崇拝していた男が、夫との教授競争に割り込み、夫が書くよりも先に、本を出版し評価を得たことに嫉妬する。夫が一緒に飲みに行き、その男が落とした草稿を拾い持ちかえったものを、ストーブに投げ入れ燃やしてしまう。稚拙な嫉妬の行為である。卑小なマクベス夫人だ。
  その男はヘッダが忘れられず、渡されたピストルで破滅していく。ヘッダにいいよる判事は狡猾で、それを利用し愛人関係を強要する。ヘッダは、父のピストルで自殺する。
 イブセンのこのドラマは、深層の欲望を隠したセリフのやり取りが、見事である。ちょっとした平凡な日常のセリフが、重層的な意味を秘めている。ヘッダの矛盾した言動は、演じる女優の能力の見せどころとなるだろう。
  あまりにも平凡なのは、夫である。なにも見抜けないお坊ちゃんという役どころだろう。ヘッダを愛し、破滅していく放蕩だが、才能のある男も複雑な人物である。その男がヘッダの所有のピストルで自殺したあと、ヘッダもピストル自殺するのだから、「後追い心中」なのかもしれない。
 誇り高く自立した女性を望みながら、勇気がなく夫から自立する行動できず、といっても退屈な日常生活にも満足できない引き裂かれたヘッダという女性像を、イプセンは、このドラマで描いている。劇展開は息もつかせぬ速さで繰り広げられていくのも、見事である。(岩波文庫、原千代海訳)