ペトラルカ『わが秘密』

ペトラルカ『わが秘密』
     14世紀イタリアの詩人ペトラルカの散文対話編である。中世とルネッサンス期の両義性をもち、近代モラリズムの先駆的著書である。著者らしき人物と「告白」を書いた教父アウグティヌスとの対話との形式をとり、キリスト教の告解や懺悔禄に似ているように思われるが、告白としての自己内対話である。その徹底した自己省察は凄い。
     自己の不幸・みじめさの自覚から始まり、「魂の病気」=「想念の悪疫」の告白になっていく。ペトラルカが抱える現世における「高慢」「妬み・貪欲」「野心・大食・怒り」「情欲」という病をいかに癒していくかを、アウグスティノスが説く。だがペトラルカも完全に承伏したとも思えない。
    私が興味深かったのは、自己の「鬱病=煩悶」の対話である。様々な煩悶に治療法を教父は提言するが、自力救済にいきつとは到底思えない。鬱病と共生していくしかないように思えてくる。近代のルソーの「告白」に近づいてくる。
    さらにペトラルカの心の二つの鉄鎖である恋愛情念と名誉欲にふれた第三巻「愛と名誉欲」にいたるが、この巻が半分を占める長さである。ローマで桂冠詩人の冠を受け、コロンナ枢機卿の司祭になったペトラルカは、亡命した父と早く死んだ母の息子だったから、凄い出世だろう。名誉欲は強かっただろ。その自己否定も強烈にある。
   人妻ラウラへの恋は一生続いたというが、その間に別の愛人に私生児2人も設けているペトラルカは、アウグスティヌスの恋愛情念否定論と、死すべき人間の霊魂による神への愛論は、あまり説得的対話とも思えない。内的葛藤は続くだろう。ダンテが、ペアトリーチェを聖なる「永遠の恋」に昇華していくのと対照的である。
   自己内対話により自己省察をしていくこの対話編は、古代人文主義とも中世キリスト教とも違い、また近代の孤独の実存の告白と違い、いずれを含み込む両義性をもった転形期の文学だと思える。(岩波文庫、近藤恒一訳)