『ギリシア悲劇Ⅰ アイスキュロス』

ギリシア悲劇Ⅰ アイスキュロス
オレステス三部作」
アトレウス一家の家族同士の三代にわたる「罪と罰」の物語であり、兄弟闘争から夫殺し、母殺しと続く「血の法則」と、その復讐がいかにして償われ、秩序ある平和がもたらされるかをドラマとして描く。
第一作アガメムノンでは、トロイ戦争に勝ち凱旋してきたアガメムノンを王妃が愛人とともに風呂場で殺す場面である。この作劇が素晴らしいのは、王宮の屋根で勝利かどうかの烽火を見張る物見の男のセリフから始まり、長老の合唱団(コロス)が登場し、伝令が到着し、王妃が登場し勝利を祝う。王妃は喜びを示し、殺意や謀略は一つもみせないが、舞台のセリフの隅々に勝利のそこに「不安」がどす黒く渦巻く。やがてアガメムノンが凱旋し、捕虜のトロイの巫女カサンドラを連れてくる。なぜ妻が夫を殺すのかは最後までわからず、そのサスペンスがこの劇を盛り上げる。カサンドラだけが、その予言能力で一家の「血の法則」を察知している。ソポクレスの「オイディプス王」でもミステリー仕立てだが、この劇でも謎解き仕立てが面白い。
 第二部「供養する女たち」では、放浪していたアガメムノンの息子オレステスが帰国し、墓前で姉とともに父殺しの復讐を誓い、愛人アイギストスと王妃クリュタイメストラを殺す。この作劇術は「ハムレット」と似たような設定だが。ハムレットのような懐疑はオレステスにはなく、古代的原始性の直接行動があり、血は血によって償われるという基調が強すぎ、私はあまり面白くなかった。
 第三作「慈しみの女神たち」は凄いドラマだと感じた。母殺しで復讐の女神たちに追われるオレステスが苦悶のなかアテネ女神が裁判官の裁判員裁判を受ける裁判劇である。アポロ神まで弁護士にまわるが、その弁論は男性原理であまり納得がいかない。逆に復讐の女神たちのその迫力は、凄まじい。12人の裁判員が同数の評決で決着がつかず、アテナ女神が無罪票を投じオレステスは許される。だが検事役の復讐の女神は「正義」が果たされないとアテナ女神に噛みついていくが、巧みな説得で「調和」のための「法」の一員になることを、説得され、幕が下りる。
 「目には目を」の復讐から、市民共同体の正義による「法」の成立へといへば、アイスキュロスの調和と平和の社会の理想が解かれていると思う。  私は、復讐の女神が「慈しみの女神」に変身していく劇的構造が弱いと思う。というのも私は、真っ黒で翼もなく、老婆の一団で「死者を守って、あくまでも血の復讐者として、その者を追う」と合唱する復讐の女神は、「マクベス」の三人の魔女に匹敵する登場人物だと思うからだ。(ちくま文庫、呉茂一、高津春繁ら訳)