イプセン戯曲を読む(1)『民衆の敵』

イプセン戯曲を読む(1)  
 『民衆の敵

 19世紀末ノルウェーの劇作家イプセンのこの劇を読んでいると、水俣病公害や、福島原発事故(核汚染水問題)が思われてならなかった。故郷の町の温泉療養所の医師ストックマンが、その温泉の上流の工場から流れ出る汚染水に毒菌が含まれていることを検査で見出す。この温泉地では温泉客が押し掛け大儲けをし、地価も上がり、税収も潤い、失業者も減少したため、町行政はその真実を公表し海まで汚染しないための対策工事をすることに莫大な費用がかかり、客も減ると反対する。
  町長はじめ行政はもちろん、温泉株に投資した資本家や、印刷工場主を組合長にする商店主や家主らも真実隠蔽に同調、さらにジャーナリズムも日和見主義でストックマンの真実公表を紙面に載せない。そして町民大会が開かれ、あくまでも公表しようとする医師に町民多数の利害を損なうと「民衆の敵」とレッテルを張り、家族ともども村八分にしていく。私は原発の安全の情報操作をした「原子力ムラ」や、水俣病チッソという企業の水銀垂れ流しを終始否定した会社や「地域世論」を思い浮かべた。
 この医師は町民大会で、多数の正義という世論を批判し、「少数こそつねに正義を持つ」と居直り、リベラルなマスコミが思想・表現の自由を標榜しながら、大衆権力におもねっていく姿を痛烈に攻撃している。また煽情的な宣伝で情報を秘密にし、「知る権利」を奪い支配しようとする「党派の指導者」も激しく否定している。現代社会劇としても通ずる。
 私は、ストックマンが最後に家まで壊され、長女が学校教師を免職され、男の子2人がいじめられても挫けず、「最大の強者は、世界にただ独り立つ人間のである」というニーチェ的セリフで終わるが、悲劇というよりも喜劇的シーンが多いと思った。
兄の町長の小権力者としての立ち居振る舞い、新聞社主筆や記者の風見鶏的在り方、医師の妻の父親が機に乗じて、温泉株を買い占めるなど。医師そのものも、精神エリート礼賛の激情的演説など滑稽さを感じてしまう。まともなのは医師夫人と教師の長女で、『人形の家』のノラのような自立した女性を感じた。(岩波文庫竹山道雄訳)