グリーンウォールド『暴露』

グリーンウォールド『暴露』

   オーエル『1984年』は未来の全体主義国家の、国民に対する大量監視システム国家を描いたディス・ユートピア小説だった。それが、21世紀民主主義国家アメリカで実現しているとは、驚きである。内部告発者スノーデン氏と最初に密会し、数万の機密文書を託され記事にしたジャ−ナリスト・グリーンウォルトの迫真のリポートであり、感動する。
   スノーデン氏からEメールで連絡があり、半信半疑で接触場所の香港の高級ホテルに出向いていく最初から、スリルに満ちている。スノーデン氏が厳重な警戒を呼び掛け、会ってみると29歳の痩せた眼鏡を掛けたサイバー青年だった驚きなど小説を読んでいるようだ。この香港10日間が世界を揺るがした米国の国家安全保障局と中央情報局による全国民の通話、インターネット、メール、SNSなどの盗聴、監視システムの暴露の始まりだった。
   スノーデン氏が自分のキャリアと人生まで投げうって、何故「たった一人の反乱」をおこなったか。情報機関の年収20万ドルの高給でハワイの生活、恋人や家族を捨ててまで内部告発に踏み切ったのは、インターネットの自由と、ビデオゲームによる普通の人間が正義のため恐るべき敵にも勝利できるという信念だとグリーンウォールドは記している。
   米国が、公安国家・監視国家に舵を切ったのは、9・11テロ事件以後である。反テロ政策が、いかなる説明責任も、透明性も、制限のない状況で実行されてきた。全国民の「すべての情報を収集する」という国家安全保障局の何兆件と言われる情報収集・保存のシステムは、スノーデン氏が暴露した機密文書に赤裸々に現れている。
   グリーンウォールド氏は、暴露後の「第四権力」といわれる報道機関内部でさえ、両氏を反愛国のスパイ活動として批判する論調があったことも描いている。情報リーク者と報道者が監視され、取り締まられれば、権力の調査報道は出来なくなる。
   暴露後、同氏が記事を書いた「ガーディアン」紙のニュース編集局までは政府情報機関が入いり、機密文書が入ったコンピュータを破壊したり、同氏の仲間がヒースロー空港でテロ防止法で拘束されたりしたことが、書かれている。
   政府が秘密保護法などで情報隠匿の不透明性になればなるほど、比例して国民のプライバシーなどの情報が透明化され監視されるという不公正は、例え安全保障といえども、許されないだろう。
   国家安全保障至上主義は、国民の命を守るため許されるという論理で、通信盗聴など監視国家を正当化するが、「人権」なき安全保障など無意味である。公安・監視国家と言論・思想の自由、報道の自由の闘いは、インターネット時代とともに、21世紀の重要な政治問題となる幕開けを、この本は示している。(新潮社、田口俊樹ら訳)