山川賢一『エ/エヴァ考』

山川賢一『エ/エヴァ考』


庵野秀明のアニメ作品「エヴァンゲリオン」を論じた本である。私がこの本を本屋で買って読もうと思ったのは、立ち読みしていて、謎解き本でなくアニメの劇的構造を批評的に読もうとしていた本だからである。それに、パラパラと捲っていたら、宇野常寛氏の「ゼロ時代の想像力」エヴァンゲリオン批評に反論していたから、面白そうだと思ったのである。「エヴァンゲリオン」は1995年にテレビで放映されたが、97年旧劇場版、2007年から2012年に3作の新劇場版として、息長く「変奏」されて続くアニメ作品である。
 山川氏は、このアニメの人間ドラマに魅力をもち、その核となる主人公碇シンジの成長物語の試行錯誤と、複雑な人間関係(父ゲンドウや、アスカ、レイ、ミサトなど)のドラマツルギーに焦点をあて論じていく。エヴァンゲリオンは、目的のため他人を踏みにじる父ゲンドウと、目的を見出せず他人からにげている息子シンジとの父子相克の構図を持っている。山川氏は、宇野氏の解釈である90年代後半に「大きな物語」が崩壊し、基準を見失い間違った判断をすることを恐れ、社会から撤退する「引きこもり・心理主義」(これがシンジの立場)に対して、それでは生き残れないとから間違ってもいいから社会に参加しょうとする「決断主義」がゼロ年代には強まったと考えたことに反論している。
父ゲンドウが独裁するネルフというカルト組織は、90年代のオウム真理教を連想させる。山川氏はそうした順序はないとした上で、シンジが主体性を確立し自己決断をすると、父ゲンドウと似てくるし、引きこもりだと情勢に流され自己がなく順応していくというパラドックスの試行錯誤の袋小路を、エヴァの重要な主題だとしている。変ることと、変らないことの両義性のなかでの煩悶であり、これが、成長と反成長の物語の両義性をつくりだしているというのである。
 1994年宮崎駿作品「風の谷のナウシカ」以来、「エヴァンゲリオン」まで①悪役として、かつて理想や正義を求めていた者の独裁化という」「正義の堕落」があり、主人公と戦う敵が戦うなかで、敵と同じ過ちをおかして共通性を持ってしまう矛盾②作中世界では、陰で独裁者的な操作で支配され、「偽りのリアリティ」にそまっていて、主人公は独裁者が用意したフォーマットにしたがってしか戦えず、戦えば敵の期待に応えてしまうし、戦わなければ現状は打破できないジレンマの葛藤に陥るというアニメである。そこに時代状況が表されているから、山川氏のサブカル批評も生きてくる。(平凡社