カロッサ『幼年時代』

カロッサ『幼年時代

 カロッサは20世紀の二回の世界大戦を生き延び、ヒットラー時代を苦悩の中ですごしたが、トーマス・マンのように亡命しなかった。指揮者フェルトベングラーは、ドイツ古典音楽を祖国としたために亡命しなかった。カロッサはドイツで育ち、成長し、医者として生きた人生の記憶が、自己の生の場所への愛着として強かったためなのだと思う。この『幼年時代』も第一次世界大戦に軍医として戦線を転々としながら、書き続けた作品である。自分の過去の経験・記憶を繰り返しその意味をたどる作品は、私はプルーストの「失われた時を求めて」のドイツ版とも思えてしまう。ゲーテの古典文学を愛し、詩人で医者であったカロッサはその後少年期、青年期の自己の生を書き続けた。
 9歳までの幼年期の記憶は、私などは断片的であり、鮮明で刻銘な思い出を持つ人がいると敬服してしまう。小説という虚構の手法はあるだろうが、三島由紀夫仮面の告白」や中勘助銀の匙トルストイ幼年時代」など幼年期の鮮明な記憶の掘り起こしは凄いと思う。カロッサも、母親やマジシャンの伯父、女友達エヴァ、いじめられ対決するライジンガーなど人物のも生き生きと描かれているし、庭の花園、町の広場や教会、屋根裏の古道具置き場なども、こんなに詳細まで記憶しているのに驚く。故国を離れ、戦場を転々としている危機感が、記憶を鋭くしているのかとも思う。文章は透明な結晶体のような詩的文章である。私は母とともに花園をつくる瞬間の実存的充実感の描写は美しい文だと思う。大事件はおきない日常生活のなかで、ドイツ教養小説の伝統をもち、精神の苦悩と悔恨・良心の「明暗」のなかで、人間として成長していく主人公の生き方が、遊びのなかで描かれていく。母親や少し年上の少女エヴァから静かに、明るい生の魅力を学んでいく。けんか相手のライジンガーとの和解も最後の場面に描かれていく。戦場で書かれたが、希望と明るさが全体に流れている。(岩波文庫斎藤栄治訳)