佐藤優・斎藤環『反知性主義とファシズム』

佐藤優斎藤環反知性主義ファシズム』 
      作家・佐藤氏と精神科医・斎藤氏という異色の対談で、AKB48から、村上春樹宮崎駿まで、現代日本の精神風景を語り合う。イタリアの作家・ウンベルト・エーコの『永遠のファシズム』(岩波書店)に似通った「原ファシズム」論が展開されている。エーコとは結論は正反対だが。
      エーコは「原ファシズム」を①伝統崇拝。モダニズムの超克②非合理主義、反知性主義、集団行動主義③混合主義だが、意見対立など差異を嫌い、異質排除に向かう④ポピュリズムに根ざした「大衆エリート主義、反個人主義などを挙げていた。佐藤、斎藤両氏のファシズムの定義は、あまり明確ではないが、組織化された生命主義の発現で、生命を「種」有機体と考え、テクノロジーにも美学にも結合し、生命を知的に組織したものと見ている。
      このように広く漠然とした定義だから、AKBに反知性主義を見るし、村上『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』は生成する人間関係のなかに悪が生じる「神義論」として読むし、宮崎アニメ『風立ちぬ』は、テクノロジーと美的破滅を結びつける「ふやけたファシズム」と言うことになる。
      私は、宮崎監督論が面白かった。「風立ちぬ」がロリコンと飛行機オタクの両立としてとらえている。またそれまでの無国籍的アニメだったのが、「国籍あるアニメ」に変貌している。宮崎監督の複雑な屈曲した矛盾がいたるところに見られる。佐藤氏は、九六式陸攻が描かれることで、重慶空爆が暗示されているが、空爆された重慶の民衆は物語から消えていると厳しい。強いもの、侵略する側の論理である。宮崎監督の両義性が指摘されている。
      私がよく理解できなかったのは、斎藤氏がファシズムに日本がいかないとする要件にITの障壁や、オタクやヤンキー、さらにロリコンをあげていることだ。ITは内と外の区別をこわすし、オタクは密着を嫌うし、ヤンキーは中間集団的倫理でファシズムに飲み込まれない美学があるというのだ。私は異質性排除が、この三者にもあるから、楽観的にはなれない。佐藤氏のいま日本はファシズムよりも恐ろしい状態になってきているという不気味さの指摘には同感したい。(株式会社・金曜日)