丸谷才一『忠臣蔵とは何か』

丸谷才一忠臣蔵とは何か』

 作家・丸谷才一氏が10月13日に亡くなった。私は小説もさることながら、丸谷氏の日本文学史論の愛読者であった。『日本文学史早わかり』や『後鳥羽院』はおもしろかったが、やはり『忠臣蔵とは何か』が1980年代の精神状況を伝えた忠臣蔵論として興奮して読んだ思い出がある。バフチン文化人類学ターナー宗教学者エリアーデなどを基盤にカーニバル的な「祭りとしての反乱」として赤穂浪士事件を位置づけていて、当時は新鮮な解釈だった。元禄江戸時代(綱吉将軍の時代)を背景に、非業な最後を遂げた者、政治的敗者の怨魂がたたって疾病や天災など災危をもたらすことを晴らす「御霊信仰」として、忠臣蔵を捉えていた。御霊を復讐神として捉え、恨みを晴らすカタルシスが古代から江戸期まで民衆信仰にあった点から分析している。私はこの視点は梅原猛氏の『水底の歌』などと共通性があると思う。
丸谷氏によれば、元禄期は「虚構―現実―虚構」という循環の時代だった。綱吉将軍は自分でも能役者を兼ねる演劇的人間であり、江戸はスペクタクル社会であり、劇場化社会であった。生類憐れみ令もこのパフーマンス政治から生じていると丸谷氏は見る。富士山噴火を含めこの時代は、地震、大水、火事という災害が多かった。仮想現実としての歌舞伎は『曽我物語』という御霊信仰による権力者へのあだ討ちが熱狂して迎えられ、その底には民衆の不満のカタルシスがあった。曽我物語に通底した忠臣蔵は、曽我があだ討ちの底に源頼朝殺しがあったように、吉良殺しの底には綱吉将軍殺しという「王殺し」の世論が隠され、それが『仮名手本忠臣蔵』のカーニバル的祭りとしての「反乱」を劇化していったと丸谷氏は指摘している。
なぜ四十七士は討ち入りの時、制服のように火事装束で吉良邸に討ち入ったかの考察から始まるこの本は、体制に対する反抗と呪詛の芸能としての「仮名手本忠臣蔵」解釈に行き着き、決して武士道の忠義などと見なされていない。丸谷氏は「多様な反乱」観の持ち主であり、「たった一人の反乱」や承久の乱をおこした「後鳥羽院」などの書も書いている。
そういえば日本のテレビのミステリーもの(火曜サスペンスや土曜ワイド劇場など)には不当に殺され怨念をもった被害者の関係者が、復讐する「御霊信仰」的なものが多いのも、この日本芸能の伝統なのだろうか。(講談社