渡辺保「江戸演劇史」(上)

渡辺保『江戸演劇史(上)』

 上巻は出雲のお国から元禄から宝暦・明和・天明までの(18世紀半ば)能、浄瑠璃、歌舞伎の演劇史を描く。出雲のお国が姿を現すのは徳川家康征夷大将軍になつた1600年であり、7年後には江戸城で踊りを披露している。その踊りには今日の歌舞伎の本質である官能のゆらぎや、女・男の性の変身、最先端の現実の出来事を虚構化し、能のように舞踏を中核にしたドラマ化であつたと渡辺氏は指摘する。足利幕府が正統演劇とした能は信長、秀吉から徳川幕府に継承され、家光、綱吉の能狂いから六代将軍家宣の時、能役者間部詮房側用人で権力を握る。このあたりの能の歴史は面白いが、江戸城の奥に姿を消し、元禄歌舞伎の大衆演劇が江戸時代のメインになる。
 渡辺氏は京都、大阪、江戸の三都市や劇場の競争、劇作家や役者の競い合いなどを逸話も交え丁寧に辿っていく。江戸社会史としても読める。近松門左衛門、竹田出雲、並木正三、並木宗輔など劇作家の分析や、「やつし」など演技技法、せり出しなど舞台技法の発明などは江戸演劇史のなかで、くわしく時代状況とからめ書かれている。私が面白かったのはやはり歌舞伎役者の歴史であつた。荒事の初代市川団十郎の誕生から四代目の歴史、女形の初代瀬川菊之丞、実悪の初代中村歌右衛門の登場、絵島生島事件もあり興味深く読んだ。渡辺氏はかって『女形の運命』(紀伊国屋書店)を書き、そのなかで初代団十郎の刺殺事件から横死した恨みから御霊信仰的な力が、市川家を歌舞伎の族長にしたと述べていた。その刺殺事件と大奥女中と歌舞伎俳優の絵島生島事件が幕府の謀略も匂いながら奥底でつながっていくというのも面白かった。
 寛延・宝暦の18世紀半ば、桜の花見(八代将軍吉宗が江戸に桜を奨励した)と歌舞伎の関係を描いた章で渡辺氏が「助六」「義経千本桜」「娘道成寺」を八重桜という重層性の観点から分析し、近松半二の「妹背山婦女庭訓」の美しい桜とその陰の悪の姿から実悪初代歌右衛門が登場してくる歴史は迫力があった。勤皇の竹内式部宝暦事件とからめてかかれているのも興味深い。(講談社