柄谷行人『日本近代文学の起源』

柄谷行人日本近代文学の起源


 この本が書かれた1970年代は日本の「近代文学」が変容を迎えようとしていた。近代批判もさかんに行われていた。文学の持つていたドロドロした「内面性の意味」が解体され、柄谷氏がいう「ジャンルの消滅」が起こり、私小説や全体小説から、言葉遊びやパロディ、物語といった近代小説が締め出したものが復権した。あらゆるジャンルを試みた夏目漱石の再評価が起こった。この本は柄谷氏がアメリカのイエール大学での明治文学講義という外部で書かれたことも特徴である。「近代」「文学」「日本」の起源的な考察である。「小説」「作家」「表現」がいかなる「近代的装置」で創造されたかを追求している。私はこの本を読みながら、ヘーゲルのいう「ミネルバの梟は夕暮れに飛ぶ」と感じた。
柄谷氏の主張で重要なのは明治20年代の「言文一致」という言語的転回である。それは新しい「文」の創造であり、「文」が内的観念にとって透明になり、その結果内面を持つ主体が創出され、同時に客観的対象もあらわれ、「自己表現」や「写実=リアリズム」も出て来る。柄谷氏は「風景の発見」で、それまで先行テクストの名勝・名所の自然だったのが、外界に関心をもたない「内的人間」の倒錯的転倒によっていかに「風景」が発見されたかを、国木田独歩「武蔵野」「忘れえぬ人々」から論じていて面白い。この手法で柄谷氏は「内面の発見」や「告白という制度」の転倒性を解明していく。「告白」では日本近代文学へのキリスト教の影響を説き、田山花袋「蒲団」を例にとり、告白という制度が告白すべき「内面」あるいは「真の自己」を産出するといい、「隠すべきことがあって告白するのではない。告白するという義務が、隠すべきことを、あるいは『内面』をつくりだす」と述べる。
柄谷氏は「構成力について」で大正時代に芥川龍之介谷崎潤一郎の間で交わされた「話のない小説論争」を取り上げ、芥川が遠近法の奥行きがないフラットな、話がない「私小説」を世界的最先端をゆくアンチロマンと意味づけたのにたいし、谷崎が構成力をもった「物語」を重視したことにこういう。「私小説的なもの」も「物語的なもの」も近代文学の制度を覆すものではないという。
柄谷氏はバフチンがいう「カーニバル」的文学や「グロテスク・リアリズム」や「笑いの文学」や「俳諧的文学」などの多様性文学を、漱石に見出して近代文学とは別な文学の可能性を願っているように思えた。(『定本 柄谷行人集1巻』岩波書店