柄谷行人『世界史の構造』

柄谷行人『世界史の構造』

 柄谷氏は「交換様式から社会構成体の歴史を見直すことによって、現在の資本=ネーション=国家を超える展望を開く」と述べている。気宇壮大な世界人類社会の分析の上に立って、未来の「世界共和国」へのビジョンを描いている。多くのことが語られているが、私が重要だと思った点を挙げる。
第一はマルクスが社会を生産様式から古代奴隷制封建制、資本主義制、共産制と考えたのに対し、柄谷氏は交換様式に重点を置き、互酬制(贈与と返礼)略取と再分配制(支配と保護)商品交換制(貨幣と商品)に分け、それぞれネーション、国家、資本を当てる。未来の交換様式はアソシエーションと世界共和国ということになる。交換様式からいうと未来は、高度な互酬制の協同組合などのアソシエーショニズムという事になるが、果たして古代部族社会にぞうした互酬制社会が普遍的に存在したのかが疑問であり、高度科学技術社会、IT社会である未来社会がアソシエーションだけでいけるのかも問題が残る。
 第二には国家だが、柄谷は国家が資本主義に大きな要件になっている指摘は重要だし
国家の廃絶よりも、贈与の互酬制の諸国家連邦による交換的正義とカント的永遠平和を説くが、あまりにも理想的ロマン主義の感もなくはない。国家の覇権主義は多国籍協調、国連主義でも解消されないし、アソシエーションと国家の関係もまだ明確でない。
 第三にはネーション(民族)だが、共同体の代補、普遍宗教の代補、感性と悟性の統合としての想像力の優位、国家の美学化での説明は面白かった。民族紛争も含めもう少し柄谷氏の理論を聞きたいと思った。ネーションは果たして、世界共和国では死に絶えるのだろうか。グローバリズムで平板化する社会での歴史的差異としてのネーションは、交換様式(言語、文化など)の大切な要素になると思われる。資本=国家=ネーションの三位一体が等価値で結びつくのかも疑問だし、もう少し複雑さを秘めているように思われる。 
 だがこれだけの世界史的視野をもち、カントとマルクスの理論を発展させた体系的思考は、ウオーラスティンやネグリの理論とともに、現代世界を知るためには必要であり、柄谷氏の力作であることは間違いない。(岩波書店